ポゴレリッチ ブラームス 間奏曲イ長調作品118-2ほか(1991.7録音)

実演は今のところ、2月に聴いたイーヴォ・ポゴレリッチのリサイタルが最後だ。
ポゴレリッチは稀代の解釈者で、どんなときも、僕たちが想像もしない方法によって、前代未聞の音楽を繰り広げてくれるのだが、最近は(聴く側の感性が慣れてきたせいもあるのか)一時と比べ随分大人しく(?)なったように思う節がある。数年前の、舞台復帰直後の、否定論者のほうが多かった、超スロー・テンポの、楽曲を徹底的に解体して再構築するという(類例を見ない)ポゴレリッチ節が今となってはとても懐かしい。

例えば、10年前にサントリーホールで聴いた、事前に発表されたプログラムにはなかった、当日ピアニストの希望で追加演奏されたブラームスの間奏曲作品118-2の、音楽の外面的には止まってしまうのではないかと思われるほどの、それでいて音楽の内側からは途轍もない幽玄なエネルギーとあまりに霊的な思念の伝わる演奏は、背筋が凍りつくほどのおどろおどろしさを持っていたし、(個人的には良い意味での)身震いするほどの哀しみを秘めていた。あれは本当に名演奏だったと思う。

イーヴォ・ポゴレリッチの録音は決して多くない。
中で、一番はブラームスの小品を採り上げた1枚だ。ここにも作品118-2が収録されるが、グレン・グールドの録音を髣髴とさせる、否、あの超名演奏を超える、優美で柔和で、最晩年の作曲家の孤独な思想と愛情を丁寧に表現し切る演奏に、いつも僕は感動する。

ブラームス:
・カプリッチョ嬰ヘ短調作品76-1
・間奏曲イ長調作品118-2
・2つのラプソディ作品79
・3つの間奏曲作品117
イーヴォ・ポゴレリッチ(ピアノ)(1991.7録音)

言葉にならない官能。
孤独の表情が、これほどまでに純化されたケースが他にあるのかどうか。
作品117と合わせ、これは老年のブラームスの、赤裸々な、赤子のように無垢な、心の声だ。

ところで、アーサー・M・エーブルの、全能の神とどう意思を通じ合わせるのかという問いに、晩年のヨハネス・ブラームスは次のように答えている。

意識を通して働く意志の力によるだけでは無理だ。意識は物質界の進化の産物であり、肉体と共に滅びる。これが成し遂げられるのは、ただ内なる魂の力―すなわち、肉体の死後も生き永らえる真の我―による。魂の力は、聖霊によって照らし出されなければ、意識からは静止しているように見える。そこでイエスは、神は霊であると我々に教え(〈ヨハネ〉4.24)、またこうも語った。「わたしと父とは一つである」(〈ヨハネ〉10.30)。
ベートーヴェンがそうだったように、創造主が共にいて下さると実感することは、驚きに満ちた、畏怖の念を起こさせる体験だ。今までこのことを実感できた者はほとんどおらず、そのため、大作曲家はもちろん、人間が本気で取り組むどの分野でも、創造力あふれる天才というのはほんの一握りに過ぎない。私は作曲に取りかかる前にいつも、こんなことを皆じっくり考える。これが第一段階だ。衝き動かされるものを感じると、私を造られた方を即座に求め始め、まずこの世の生に関して最も大切なことを3つ質問する―我々はどこから来たのか、なぜこの世に生きているのか、この後どこへ行くのか?
たちまち私は、自分の全存在を震撼させるような身震いを感じる。

アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P8-9

亡くなる半年前に、実際にブラームスが創造の秘密について語った神がかった言葉は、実に衝撃的だ。彼が真我というものを明確に捉えていただろうことが僕は嬉しい。

ポゴレリッチの、この30年近く前の録音は、我を排した透明な、無垢な、それでいて激しい名演だ。ポゴレリッチも同じように創造の前に3つの質問をするのだろうか?

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6 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。グールドのブラームスですが、前期ロマン派は好きではないと言っていたグールドがなぜブラームスをこんなに好意的に弾いているのでしょうか?ベートーヴェンにも挑戦的だったグールドがなぜブラームスには自分の気持ちを打ち明けるように無条件に身を任せているのでしょうか。とブラームスが妬ましくなる私は変ですね。特に118-2の間奏曲を偏愛する私としては、美しい追憶を懐かしみつつ、孤独の寂寞が迫るようなこの演奏はほとんど奇跡のように思えます。ラドゥ・ルプーも清楚で慎み深く、好感が持てますが、グールドの演奏を聴くと物足りなさを感じます。
 ブラームスが老子や孔子の思想を知っていたとは思ってもいませんでした。ブラームスの「ベートーヴェンがそうだったように、創造主が共にいて下さると実感することは、驚きに満ちた、畏怖の念を起こさせる体験だ」との言葉はベートーヴェンのベッティーナに語った、「自分が神の近くにいることを知っている」との言葉を思い出します。ブラームスは「ベートーヴェンがそうだった」とどうして知ったのでしょう。天才は天才を知る、ということでしょうか。
 ポゴレリッチの118-2は、じっくりとスローテンポで、また新しい曲の魅力を引き出している、と感じます。ベートーヴェンの32番ソナタのアリエッタ、ショパンの前奏曲13番の超スローな演奏には、他の演奏には代えられない滋味がありました。今のポゴレリッチがこの曲を弾くのを聴いてみたいと思いました。 ありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

グレン・グールドのインタビューでの発言に次のようなものがあります。
そもそも彼は、後期ロマン派の音楽にはとても影響を受けたと言います。ただし、ピアノでは紹介しにくい作品が多いのだそうです。グールドはグリーグの遠戚でもあり、グリーグの協奏曲を(好みではないにもかかわらず)録音の予定があったそうですが、

あの曲が演奏されるときは、たいてい、全体の90%が伝統的な解釈に縛られていて、弾くことになった人の想像力に委ねられた部分は10%にすぎません。三代にわたって着古した服です。

という理由から結局は実現しませんでした。
これはちょうどブラームスの間奏曲集を録音した直後に語った言葉で、このブラームスの録音に対してもグールドはこう言っています。

ブラームスの間奏曲のこれまでで最もセクシーな演奏です。
即興的な雰囲気が出ていると思うのです。
私は本当は自分のために弾いているのだけれど、ドアが開け放しになっている。そういう演奏なのです。

グールドは同じインタビューの中でメンデルスゾーンも崇拝していると語っているので、おそらく彼らの音楽には、即興性、つまり弾き手の想像力に委ねられる部分を多く感じていたのだろうと思われます。ですからロマン派すべてを否定していたわけではなく、作曲家による好悪の判断基準が明確にあったのだろうと。

ちなみに、ブラームスが孔子や老子の思想を知ったのは、厳密には今回紹介したエーブルとヨアヒムとの鼎談の中でのことで、テニスンの言葉に触発されたものです。このインタビュー集の面白いところは、ブラームス自身が死後50年は出版することを禁じた点で、内容は吃驚するほど優れていて刺激的です。ご一読をお勧めします。
ちなみに、ベートーヴェンに関することも中で次のように語っていますね。

ベートーヴェンは、いつも私の導きの星だった。彼が創造主ご自身からどう霊感を得たかについては、ほんのわずかだが記録が残っており、これは私にとって計り知れない助けだ。バッハとモーツァルトも霊感の大いなる源泉だが、ベートーヴェンは人類に訴えかける力において、より普遍的だ。

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 懇切にご示唆いただき、ありがとうございました。
グールドの118-2の演奏は確かに「セクシー」で「即興的」です!音の揺れが随所にあり、それがセクシーでもあり、酩酊しているようでも。「即興性」や演奏者の解釈に多く委ねれた曲という観点でみれば、グールドが評価していたベートーヴェンの最後の3ソナタもそういう曲に当たるかもしれない、と勝手に合点がいきました。
 グールドは自分のために弾いていたのですね。ポゴレリッチはどこかで「自分は作曲家のメッセージを伝える存在」という意味のことを言っていたように思いますが、とすると二人は演奏に対する考えが対象的ということでしょうか。
 ブラームスがそんな禁止事項を設定していたとは、興味が湧きますね。そのころにならないと人類が理解に追いつかないだろう、ということでしょうか。私に理解できるかわかりませんが「音楽の創造と霊感」、読んでみたいと思います。ブラームスの言葉「ベートーヴェンは人類に訴えかける力において、より普遍的だ。」は記憶に刻みたいです。
 最近、平野昭という人の「ベートーヴェン 革新の舞台裏 捜索現場へのタイムトラベル」という本があることに気がつきました。これも面白そうなタイトルですね。(岡本様はもう読まれたのでしょうか。)
 ありがとうございました。
 
 
 

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

平野昭氏の「ベートーヴェン 革新の舞台裏 捜索現場へのタイムトラベル」は先日書店で見かけましたが、手に取りませんでした。他の書籍が積読状態で追いつかないため、少々時間を空けて読みたいと思っていたところでした。
ありがとうございます。

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桜成 裕子

おじゃまします。
「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」のブラームスの章を読みました。エーブルというインタビュアーに向けて語られる作曲家自身の生の言葉が残されているのは驚きです。ベートーヴェンが「作曲する時、私は畏れなく神と交わる」と言っていると同様に、ブラームスは意識が半ば停止してトランス状態になり、全能者の一部である潜在意識を通して霊感が働きかけ、明確な主旋律のみならず形式や和声、管弦楽法等、完成した形でブラームスの前に現れる。それはイエスの「わたしの内におられる父がその業を行っておられる。」という言葉の裏付けである、と語っています。この言葉で、作曲を始めると一気に仕上げ、書き直しの跡もなかったというモーツアルト、「物語は私が考えるのではなく上から降ってくる」と言った宮沢賢治等、を思い浮かべました。天才と言われる人の作品はそんなふうに世に出て来るのですね。勿論ただ漫然としていて降ってくるのではなく、絶えまぬ努力をし、世の中のためになる作品を創り出したい、という痛切な願いを持っていて初めて成るのでしょう。
 また劣らず興味深かったのは、ブラームスやヨアヒムのイエス・キリスト観でした。イエスは、アダムとイブの原罪によって死すべき運命に落とされた人類の罪を、自らの命で贖い、人類に永遠の命への道を開いた神のひとり子というふうには考えておらず、イエスは人類の中で最高に霊感が働いた人、という把握らしいことです。だれでもイエスのような業が行える可能性がある、と。これは正当的な教会とは反する考えであることは承知だったようですが。またテニスンが語った、「天国とされる場所で永遠の生命を許された人は永遠に朽ち果てない高次のエーテルのような物質でできた肉体を持って生きる、それは地球上である。」という言葉。なんだか、よくわからなかった天国と永遠の命のイメージがはっきりし、なるほど科学的だと思いました。ブラームス・ヨアヒム・テニスンがこのような話をしていたとは! こんな本に出会えるなんて幸せでした。ありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

読後の感想詳細をいただきありがとうございます。
この本を最初にとって読んだとき、少々信じられない思いがし、フィクションか贋作か、その類いかと目を疑いました。しかしながら、どうやらこれは真実のようだとわかり、ワクワクしながら読み進めました。ブラームスの章に限らず、シュトラウスもプッチーニもフンパーディンクもグリーグも、本当にどの章も驚くべき内容です。
と、同時に膝を打つ箇所も多く、これは音楽家に限らず、天才と言われる人たちがSomething greatとつながる術を心得ていたのだということが明快で、創造の秘密がリアルに理解できたことが大きな収穫です。

喜んでいただけて良かったです。
引き続きよろしくお願いします。

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