田舎の田圃道を車で走った。
暑さ残る真夏の黄昏時のドライヴは、とても爽快だった。
子どもの頃の風景と何ら変わりない田園は、それこそ喜びに満ちるものだと僕は感じた。
大自然を愛したベートーヴェンは、それこそ同じような感覚を持っていたのかどうなのか。五感の一つを失い、心の耳で彼は音楽を奏で、語った。ベートーヴェンの音楽の進化の様子は、難聴の進行と比例する。ガブリエル・フォーレもだ。
耳疾患前の音楽と後の音楽とでは明らかに「音」が違う。
前の音楽は、明朗だ。解放だ。その上、音楽家としての意地がある。
テクニカルで、かつまた意志的だ。
ガブリエル・フォーレの作風は滋味溢れるものだ。別の言い方をすれば極めて地味ともいえる。ただし、音楽の内容は深い。ベートーヴェンと同じく耳の疾患以後は、作品の深度はますます高くなった。外部の音を取り込めない分、内側から湧き出る音を想像力によって組み立てるとは何と至難だろう。しかし、難しい分、音楽の純度は途方もないものになった。
ピアノ四重奏曲第1番ハ短調作品15は、若きフォーレが渾身の思いを込め創造した傑作だ。
そして、一層情熱を醸す(ハンス・フォン・ビューローに献呈された)第2番ト短調の蠢く暗い思念。否、それはある種憧れかもしれない。第1楽章アレグロ・モルト・モデラートの悲哀。続く、第2楽章アレグロ・モルトの疾走から生まれる不安の喚起を、アンゲリッシュをはじめとする4人が見事に再現する。また、美しい第3楽章アダージョ・ノン・トロッポは、フォーレがことのほか愛する旋律で(「主題と変奏」嬰ハ短調作品73の第8変奏で回想される)、聴く者に心の安寧をもたらしてくれる。
終楽章アレグロ・モルトにある、抑圧された思想の爆発よ。
大自然に寄り添って五感を研ぎ澄ますと、優しい音に出遭う。
ましてや心の耳で聴いたときの爽やかさ。悟性を磨けとフォーレが言うようだ。