セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル ベートーヴェン 劇音楽「エグモント」ほか(2018.5録音)

序曲だけが夙に有名になっているが、劇の内容は示唆に富む、現代の僕たちに様々な気づきを与えてくれる佳作だ。世間にもっと認知されれば良いのに、もう少し頻繁に上演されれば良いのにとさえ僕は思う。

ベートーヴェンの音楽全曲を付けて初めて上演されたのは(1810年)6月15日、ブルク劇場においてで、それは続けて同劇場で6月18日と7月20日、計3回のみの上演で終わった。ゲーテのお膝元、ヴァイマールの宮廷劇場では1814年1月29日に初日を迎えて以後、『エグモント』は繰り返しベートーヴェンの音楽付きで上演された。
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P742-743

5幕という長大な戯曲と付随音楽の共存の難しさなのか、初演当時も決してヒットしたわけではないことがわかる。

ベートーヴェン:
・劇付随音楽「エグモント」作品84(1809-10)
・歌劇「レオノーレ」第2幕への導入部WoO2b, Hess117(1805年版)
・6つのメヌエットWoO10(1796)(フランツ・バイヤーによる1982年管弦楽版)
・クフナーの悲劇「タルペイア」のための勝利の行進曲WoO2a, Hess117(1813)
・「レオノーレ・プロハスカ」の音楽より「葬送行進曲」WoO96-4(1815)
マッティ・サルミネン(ナレーター)
カイサ・ランタ(ソプラノ)
レイフ・セーゲルスタム指揮トゥルク・フィルハーモニー管弦楽団(2018.5.15-19録音)

しかし、尊敬するゲーテとの共作たる「エグモント」を具に聴けば、4つある間奏曲など、性格の異なる音楽を相変わらず同時に創造可能なベートーヴェンの天賦の才を思う。
男になりたかったクレールヒェンの悲恋は、やはり死でもって成就するしかなかったのか、前途洋々の間奏曲第1番に対し、「レオノーレ」の慈しみにも通じる間奏曲第2番、また、堂々たる間奏曲第3番、そして何より、いかにもベートーヴェンらしい悲劇的な間奏曲第4番に各々刻まれる思念を見事に再現するセーゲルスタムの力量よ。白眉は第8曲メロドラマ「甘き眠りよ!お前は清き幸福のようにやって来る」から終曲「戦いのシンフォニー」にかけての浄化と魂の一体の様。

やがて悲しみは法悦に変わり、
喜びに満ちた微笑みがクレールヒェンの口元に浮かぶ。
その表情には一つの確信が読み取れた、
すなわちエグモントの死は破滅を意味するのではなくて、
彼の血から自由が生まれてくるのだ、と。

(石井宏訳)

ちなみに、初演の不調により、改訂に向かった「レオノーレ」から削除された第2幕の導入曲は、セーゲルスタムの棒により生き生きとした生命が吹き込まれるようだ。

あなたはこうした変更がなされることは耐えがたいことであったでしょうが、私たちのオペラの上演はさらに遅延してしまいますので、あなたのご許可を暗黙の内に期待できないかと思いました。3幕から2幕だけとし、それを遂行するため、かつこのオペラに生き生きとした進行を与えるために、私はすべてをできる限り短くしました、囚人たちの合唱や主要なさまざまをです。
(ゾンライトナーへの改訂稿初演前の書簡)
~同上書P610

ルネ・ヤーコプスの名演奏を聴くにつけ、やはりベートーヴェンのこの改訂による諸曲の削除は不要であったように僕には思われてならない。

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4 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。恥ずかしながら、ベートーヴェンのオペラ関係の作品にはとんと
ご縁がなく、序曲しか聴いたことがないという体たらく。ですが当ブログのおかげで、オペラの内容や作曲当時の状況、参考書籍などの知識をいただき、それに関する取るに足りない独りよがりの感想ですが、書かせていただけたら、と思います。
 ベートーヴェンが、宮廷劇場支配人ハルトル氏から、劇場救済基金のための慈善興行の演目として、ゲーテの「エグモント」に曲をつけるように依頼されて、子どものころから尊敬していたゲーテの作品に作曲し、上演されたのが1810年5月24日。同じ5月に、ゲーテの幼馴染で「若きウェルテルの悩み」のロッテのモデルとされるマクシミリアーネ・ブレンターノの娘であり、幼い頃からゲーテと親しかったベッティーナがベートーヴェンを訪ねてきます。その日からベッティーナとベートヴェンは毎日会って芸術論を語り、ベッティーナはベートーヴェンと会った感動を「ベートーヴェンと会って、驚くべきことに私はあなたをも忘れました。ベートーヴェンは私たちより進んでいます。私たちは追いつけるでしょうか。多分無理だと思います。」とゲーテに書き送ります。その時ベートーヴェンも「ゲーテに私の交響曲を聴いてほしい」とベッティーナに話しています(ベッティーナからゲーテへの手紙)。そして「エグモント」をゲーテに献呈する旨を手紙で送ったのがその1年後の1811年4月12日です。:「近々、ライプチヒのブライトコップ・ウント・ヘルテルからエグモントにつけた曲をお受け取りになるでしょう。このすばらしいエグモント、これを拝読した時と同じように感激をもって、再び閣下を通して考察し、感を新たにして作曲したものです。この曲について閣下のご批評を賜りたいと願っております。ご批判もまた、私にとってそして私の芸術にとって役立つことであり、最大のお褒めの言葉を頂戴するのと同様に、喜んでお受けしたいと思います。 閣下の最大の尊敬者であるルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン」(藤田俊之「ベートーヴェンが詠んだ本」P20)
 私の想像ですが、ベッティーナと出会って、ゲーテが近しい存在、ベッティーナを介して会おうと思ったら会えるかもしれない存在に感じられたからこそ、このような手紙を出すことができた、出す気になったのではないか、と思いました。そう思うと「エグモント」完成と時を同じくしてのベッティーナとの邂逅は、すごいタイミングだと思わずにはいられません。
 この手紙に対して、ゲーテは、「エグモントはまだ受け取ってないが、この冬にこちらの劇場でこの作品を上演する際の音楽として利用させていただこうと思う」という趣旨の返事を書いていますが、ベートーヴェンが望んだ感想や批評についてはその後何も言っていません。藤田俊之氏の本によると、ゲーテは言葉の力が最上だと考えていて、それに音楽が付くこと、特にベートーヴェンの音楽、は良しとしていなかったそうです。それについては、「一つの詩の精神的な内容がわれわれの感覚につかめるのはメロディーの力によってでないでしょうか。『ミニヨン』のメロディーはこの歌の持っている情緒のすべてを伝えていないでしょうか?そうなれば精神ははばむもののない普遍性にひろがりゆきます。」とベッティーナに語ったベートーヴェンの考えと真っ向から対立します。文学家と音楽家の違いなのでしょうか?
 その後1823年になってベートーヴェンは再びゲーテに手紙を書き、ゲーテの詩「海の静けさと幸せな航路」に付けたハーモニーが詩句にふさわしいものかどうかについてゲーテの意見を乞い、また作曲中の「荘厳ミサ曲」の楽譜の予約をワイマールの大公に進言してくれるよう懇願しています。それに対するゲーテの返事はなく、ワイマール宮廷がミサ曲の予約をすることもなかったそうです。そのことに対して、ロマン・ロランがこうコメントしています。:「(ベートーヴェンは)何という痛々しい努力をしていることだろう。ゲーテに向かって何という敬虔な愛を捧げているのだろう。(中略)寛大な人間であったならば、こうして頼ってきた偉大な心の中に、このような苦しみの棘を一日も刺さったままにしておきはしないであろう。たとえ「荘厳ミサ」に何の興味も覚えなかったにしてもゲーテたるものは両腕を広げてベートーヴェンにこう言うべきだろう。「私に信頼を寄せてくださってありがとう。恐縮などなさらないでください。私に向かってご自分を卑下なされば、私自身が自分を卑下することになりますから」(藤田俊之「ベートーヴェンが詠んだ本」P24)  ロマン・ロランのベートーヴェンかわいさのあまり、表現が少し過度だとしても、私もロランの考えに賛成です。どうしてこうまでゲーテはベートーヴェンに冷淡なのでしょうか。テプリッツで一緒に過ごした時、辟易することがあったとしても。ベートーヴェンの死後、81才のゲーテの前で大作曲家たちの作品を弾いた21才のメンデルスゾーンが当時を回想:「ゲーテはベートーヴェンの話を聞きたがらないのです。それでも私にはどうしようもないと言って、私はハ短調交響曲を弾いて聞かせました。(中略)『これは非常に大きい!全く気狂いじみている!』食卓でも、他の話題の最中に彼は同じことをつぶやいていました。」 ゲーテにとってベートーヴェンはそんなにも理解不能な前衛音楽だったのでしょうか。それにしても話さえ聞きたがらない、とは!
 ゲーテは宮廷枢密顧問官という宮廷側の人で、ベートーヴェンは一介の平民、その上から目線があったとしても、ゲーテのベートーヴェンへの拒否反応が顕著に感じられます。これは私の俗っぽい頭に浮かんだことで、人格を疑われそうですが、ゲーテはベッティーナがベートーヴェンに心酔していたことに嫉妬していたのでは? それはさて置き、ゲーテは貴族側の人で、民主主義や自由や平等を信じていなかったそうなので、ベートーヴェンとは相いれないものがあったのでしょう。藤田俊之氏の総括の「ゲーテにとって、物心両面の中心に位置するのはあくまでもドイツであったと思われる。一方、一般市民としてのベートーヴェンは、世界の異なった文化を吸収することで視野を広げながら、特に精神分野においてそれぞれの文化圏に足場を見つけながら、次第に自らの世界観を拡大・展開していったのである。」に大いに感銘を受けました。「エグモント」からいろいろと知らなかったことに気付かせていただき、ありがとうございました。「エグモント」も全曲を聴いてみたいと思います。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

ゲーテとベートーヴェンの関係については実に興味深いですよね。
ゲーテの、ベートーヴェンの音楽に対する嗜好については何とも言えませんが、仮にゲーテを擁護するとするなら、やはりベートーヴェンは人間的には相当風変わりな人だったのだろうと思います。ただ、それでもゲーテがベートーヴェンについて受け入れるだけの器を持っていなかっただろうことは残念ですが。

私見ですが、文学には言語の違いから生じる壁が自ずとあるのに対して音楽は万国共通語で、その意味では壁がありません。ベートーヴェンがベッティーナに語った言葉は、後に(ベートーヴェンを崇拝する)ワーグナーがムジークドラマとして統合したことで、詩と音楽の一体化こそが最高の芸術形態であることを証明してみせたと思います(ゲーテはそこまで読み切れなかった?)。

ちなみに、ゲーテとベートーヴェンの年齢差21歳が意外に壁かもしれません。
天才同士と言えどもジェネレーション・ギャップは当然ありますから、年上のゲーテの方が相手を理解するという意味において不利だったかもしれないと思うのです(ベートーヴェンはあまりに革新的でした)。

「エグモント」全曲はもちろんのこと、「フィデリオ」、そして初版である「レオノーレ」についてもぜひ聴いてみてください。繰り返し聴くことで大いなる発見があります。
ありがとうございます。

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 ゲーテのベートーヴェンに対するスタンスについてのご示唆、なるほど!と参考になりました。ありがとうございました。オペラについてはあまり関心がなかったのですが、ベートーヴェンがその筋書きや内容に思想的にも共感して一生懸命作った労作であること、岡本様が、現在あまり演奏されないのを残念に思っておられること等を知ると、ぜひ聴きこなさねば、という気になってまいりました。ありがとうございました。

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