ウゴルスキ ムソルグスキー 組曲「展覧会の絵」ほか(1991.7&10録音)

孤高の革新的創造者には、未完の作品も多い。
シューベルトはベートーヴェンを尊敬した。しかし、ベートーヴェンとはまったく異なる方法で、すなわち「歌」という方法で崇高なる数多の作品を残した。
同じくロシアの奇人、ムソルグスキーも若き日ベートーヴェンを研究した。
しかし、彼の方法はとっくにベートーヴェンを抜き去り、独自の路線で音楽を創造するに至った。

ときどき彼は病的な苦しい不安におそわれ、その不安がどうにもならぬ恐怖にまで変貌することがあった。しかし彼は、それまでの恐怖とは一変して、完全な無感動にとらわれた数分、数時間、いやもしかしたら数日間といってもいいかもしれないが、そうした時期があったこともおぼえていた。それは死を目前にした人に見られることのあるあの病的な冷静な心境に似ていた。だいたいこの最後の数日間というものは、彼は自分でも自分のおかれている状態をはっきりと完全に理解することを避けようとつとめていたようだ。
ドストエフスキー/工藤精一郎訳「罪と罰(下)」(新潮文庫)P290-291

ラスコーリニコフの逃避。
確かに彼の心はまったく穏やかでない。
おそらくそれは、ドストエフスキー自身の私的体験なのだろうと思う。
興味深いのは、ほぼ同時期に活動し、ほぼ同時期にこの世を去ったムソルグスキーについても、赤裸々な、荒々しい、同様の傾向が見られたであろうことだ(母の死のあたりから彼はアルコールに依存するようになる)。

ドストエフスキーは芸術家であるから、哲学者や学者が自分のイデエを作り出すのと同じように自らのイデエを作り上げたわけではない。彼が作り出したのはイデエの生きた像である。それは彼が現実そのものの中に見出し、聞き取り、時に予測したイデエ、すなわちイデエ=力としてすでに生きている、もしくは生まれようとしているイデエの像なのである。ドストエフスキーは自分の時代の対話を聞き取る天才的な能力を持っていた。あるいはもっと正確に言えば、自分の時代を巨大な対話として聞き、時代の中の一つ一つの声を捉えるばかりではなく、まさに声たちの間の対話的な関係、その対話的相互作用そのものを捉える能力に秀でていた。時代の支配的な、認知された、大きな声、つまり(公式のものであれ、非公式のものであれ)支配的で主導的なイデエも、まだ弱い声、いまだ完全に自己を発揮していないイデエも、陰に隠れたまま彼以外の誰にもまだ聞き取られていないイデエも、さらにはようやく成長を始めたばかりのイデエ、すなわち将来の世界観の胚種をも、彼は聞き取ることができたのである。
ドストエフスキー自身次のように書いている。

現実の全体とは現在目の前にあるものに尽きるものではない。現実はその巨大な部分を、まだ陰に隠れた、発せられていない未来の言葉としてはらんでいるからである。
ミハイル・バフチン/望月哲男・鈴木淳一訳「ドストエフスキーの詩学」(ちくま学芸文庫)P184-185

ただ心眼が開かれていなかっただけで、彼の持つ全体観は人間業を超えたものだったのだと思う。しかし、残念ながら「開かれていなかった」以上、彼はやはり未完だった。
奇しくも死に阻まれ、畢生の大作「カラマーゾフの兄弟」は未完の終わった(それはそれで確かに完結しているのだが)。

ドストエフスキーの死(1881年2月9日)から2ヶ月足らず後(同年3月28日)、ムソルグスキーも42年の生涯を閉じる。この稀代の作曲家も未完作品が多い。もちろんムソルグスキー自身も未完だった。

トルソーであるゆえの美しさというものがあろう。
言葉にならない哀しみがそこに表出する。

・ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(1874)
・ストラヴィンスキー:「ペトルーシュカ」からの3楽章(1921)
アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)(1991.7&10録音)

当時のウゴルスキのピアノは(少なくとも録音で聴く限り)実に深遠な響きを魅せる。
大きな音も、また弱い音も、彼は必然的なつなぎをもって表現した。バフチンがドストエフスキーについて分析するように、あの頃のウゴルスキは誰にも聞こえない音を聴き取っていたのかもしれない。あるいは、ムソルグスキーの天衣無縫の楽譜から、すべてを読み取っていたと言っても過言ではない。
第8曲「カタコンブ」以降が肝。
終曲「キエフの大門」に至っては、たった1台のピアノでの表現とは思えない奥深さ(冒頭の音量を抑えた、訥々と、哲学的境地で音を鳴らす解釈に言葉がない)。お手上げだ。

過去記事(2015年8月16日)

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