感銘を受けたであろう詩に付曲する創造行為は、作曲家の心情告白であるだろう考えに僕は賛同する。特に韻文詩は、時に崇高に、また赤裸々に詩人の心を読み上げる。作曲家が言葉の意味よりその響きに感応するのは必然だ。
シューベルトにより至高の域まで押し上げられたリートは、シューマンの官能を経て、ブラームスの力によって完成をみたといっても過言ではないだろう。厳格な、気難しい顔つきのポートレートを残したブラームスも、生涯かけて生み出した数多のリートをもってして、極個人的な思いを吐露したことは間違いない。もちろんシューマンもだ(そこには、愛するクララへの愛がことごとく込められる)。
1949年9月のエディンバラ音楽祭は、3度目の登場となるカスリーン・フェリアーの落ち着いた、衝撃の歌が聴衆の心を癒しただろうリサイタルでおそらく頂点に達したのだと思う。何と伴奏をブルーノ・ワルターが務めたのだから。
冒頭、静かに奏でられるピアノの前奏が何と美しいことだろう、シューベルトの「死と乙女」は、数年後の自身の境遇を予言するかのように、フェリアーによって暗く、そして不安な表情で見事に表現される。あるいは、ピアノ協奏曲第2番アンダンテ楽章の主題が転用されたブラームスの「まどろみはいよいよ浅く」作品105-2のとろけるような憂愁と、「永遠の愛」作品43-1の深く、神々しい絶唱!!
白眉は何と言ってもシューマンの、アーデルベルト・フォン・シャミッソーの詩による「女の愛と生涯」!!!
瑞々しいワルターのピアノと、感情こもるフェリアーの歌唱の対話が聴く者の魂にまで届く。
あなたは、いまはじめて私に苦痛を与えました。
ほんとうのいたみを。
あなたは無情で、心のつめたい方、私を残して、
永遠の眠りについておしまいになったとは。
(小林利之訳)
終曲「はじめて悩みを」の静かな慟哭に思わず涙がこぼれるほど。死によって分かたれた各々が再び一つになるのはいつなのか。後ろ髪引かれる思いのワルターのピアノ後奏が、優しくまた美しい。
私の最高の幸運はドクター・ブルーノ・ワルターの導きでお仕事を共にすることでした。シューベルト、シューマン、ブラームスとマーラーの作品および歌曲を
ドクター・ワルターと共演し、その教えをうけることは、作曲家自身から知識と霊感を授けられるような思いでした。ドクターとリハースすることはほんとうに忘れがたいものがありました。それはとても興奮させるものがあり、ときおりほとんど耐えがたいほど感動的でした。ドクター・ワルターが言われたり、演奏されたりすることは、すべてが完全な誠実さからなされているのです。〈まどろみはいよいよ浅く〉のような歌曲を説明されるとき、ドクターはほんのわずかな言葉で一枚の絵を描いて下さるのです。彼のお顔の表情は即刻そのムードを伝えているのです。
(三浦淳史訳)
何と誠実な、カスリーン・フェリアーのブルーノ・ワルターへの尊敬の思いを孕む言葉よ!
おじゃまします。このCDを聴いてみました。昔、フルトヴェングラーのピアノ伴奏でシュワルツコップのヴォルフ歌曲集を愛聴しました。さすが名指揮者の伴奏はすごい、その上名歌手とのコンビ、こんな邂逅はまたのないものと思っていたら、ワルターとフェリア―コンビがあったんですね!キャスリーン・フェリア―という歌手のことを初めて知りました。以前YouTubeでグルックの「我エウリディーチェを失えり」を聴いた時の歌手だったことに気がつきました。シューベルトの「若い尼僧」、シュワルツコップの声と比べてずいぶん低いと思ったら、コントラルトという声種なんですね。とても豊かで深い声に感じました。ブラームスの歌曲はあまり知りませんでしたが、ベートーヴェンやシューベルトの歌曲とは一段と違っていて、やはりロマン派が色濃くなっているということかな?と思いました。
フェリア―がワルターに寄せる信頼と尊敬が美しく、ワルターの伴奏も熱を帯びて感動的です。フェリア―は四十歳ほどで病死したそうですが、人生でこのような芸術的な至福を味わえて幸運な人生だったと思われます。
このような歴史的な音楽祭の模様を聴けてよかったです。ありがとうございました。余談ですが、フルトヴェングラーとワルター、この二人はベートーヴェンのピアノソナタをどんな風に弾いたのか聴いてみたかったです。
>桜成 裕子 様
カスリーン・フェリアーの歌唱は本当に素晴らしいと思います。
若くしての死が残念でなりません。録音はさほど多くはありませんが、EMIの全集&Deccaの全集、いずれもがおすすめです。
https://classic.opus-3.net/blog/?p=25294
https://classic.opus-3.net/blog/?p=15774
>この二人はベートーヴェンのピアノソナタをどんな風に弾いたのか聴いてみたかったです。
同感です。ワルターに関しては存じませんが、フルトヴェングラーは「ハンマークラヴィーア・ソナタ」を得意としたそうです。きっとデモーニッシュかつ飛び切り美しい演奏だったのだろうと想像します。