プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管 ラフマニノフ 交響曲第3番ほか(1997.6録音)

1935年の8月、交響曲の第1楽章および第2楽章の下書きが完成した。交響曲は全3楽章から成る構想だったが、ゆっくりとした第2楽章の中間部の挿入曲としてスケルツォを組み入れた。
ニコライ・バジャーノフ著 小林久枝訳「伝記ラフマニノフ」(音楽之友社)P405

ラフマニノフの構想通りの、スケルツォを包み込みように創造されたアダージョ・マ・ノン・トロッポこそ、緩やかな癒しの想念がいわば外的な効果に過ぎず、芯に激しい諧謔的信条があることを示すかのような印象を与える。それこそ、交響曲第3番イ短調の神髄なのである。

ところで、当時、フョードル・シャリャーピンの死去がラフマニノフに与えた悲しみは甚大だった。

悲しい日々は跡形なく過ぎるはずはなかった。超えるべき最後の境界が近づいているという考えが、ラフマニノフにふたたびうるさくつきまとった。ときどき彼は冗談を言ってその考えを断ち切ろうとした。
「硬化症なんですよ!」彼はソーモフへの手紙の中で、ごく当たり前の日常の言葉をときどき忘れてしまうと訴えた。ジェスチュアで話を補わなければならないのだ。「・・・昨日、パリのラジオ放送で(巨匠ラフマニノフ)の番組を聞きました。そのあと(録音で)6曲放送されました。・・・いやはや驚きました! 彼らはなんと大げさな言い方をしたことか! きっと彼らは私が硬化症だということを知らないんです・・・」
8月にヘンリー・ウッドは、ラフマニノフの交響曲を演奏した。
「・・・私はこの交響曲を愛してくれる人を数えてみて、指を3本折り曲げました。2番目はヴァイオリニストのブッシュ、3番目は憚りながらこの私です・・・」
近年の彼は、一見したところ明らかに痩せてきた。しかし、心配していろいろたずねる友人に対する返事は変わらなかった。
「特にどうということはないですよ。疲れたんです、本当に。でもまだ死ぬつもりはありませんよ」
~同上書P424

愁える交響曲。ロシア的憂愁と言えばそれまでだが、彼の音楽の心底にあるのは常に苦悩のようだ。しかし、だからこそまた音楽に説得力が増すのだと言えなくもない。

ラフマニノフ:
・交響曲第3番イ短調作品44
・交響的舞曲作品45
ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団(1997.6録音)

死への不安と恐怖の中、時間を惜しむことなく紡がれた交響的舞曲作品45が素晴らしい。この澄んだ、哀惜のダンスのあまりの美しさ。

報復はもっと先なのだ。
みな、これからなのだ。死について考えるのも、悔恨にもだえるのも、そしてついには夜が来るのも。
しかしその前に魂は、赦しも出口も慰めも見出せないまま、この遅々とした薄暮のワルツを踊り抜かねばならない運命なのだ。

~同上書P435

ミハイル・フォーキンはこの舞曲を聴いて、バレエの構想に火が付いたのだという。アンニュイな第2楽章アンダンテ・コン・モト(テンポ・ディ・ヴァルス)の、死神のダンスのような風趣に当時のラフマニノフの本心を思う。ここでのプレトニョフの指揮は、道化に溢れ、似非の喜びに満ちているという意味で巧みだ。

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