
すべてが当たり前だと思っていると、人は感謝を忘れる。
限られたわずかな時間を意識できたとき、感謝が生まれるのだ。
「リリー、モーツァルトを弾いて下さい」は、いわゆる「ノンフィクション」小説である。
想像の部分も多分にあれど、実によくできている。

抑留所で望みを聴かれたリリーは、「一にピアノ、二に家族の再会だ」と答えたという。
実際、数年後にようやく家族との再会を果たした際、子どもから次のように返されたらしい。
特にルースは、あからさまに口を尖らせて、母親に言葉を返した。
「リリー、ピアノが第一で、私たちとの再会は二番目だったの?」
「・・・」
リリーは、予想もしなかった娘の抗弁に言葉を失った。
~多胡吉郎「リリー、モーツァルトを弾いて下さい」(河出書房新社)P248
どこまで事実で、どこまでがフィクションなのかは不明だが、いかにもリリー・クラウスが言いそうなことだ。
(そのときは、夫であるマンデルのとりなしで、子どもたちも落ち着いたことになっている)
「ルース、ピアニストにとって、ピアノは自分の手足と同じなんだよ。ピアノがないリリーは、リリーじゃない。だから、リリーが『第二に家族』と言ったのは、実質的には一番の願いということだ」
~同上書P248
戦時下の、しかも抑留中という緊張の中でのやりとりを多胡さんは上手に創作している。何とリアルなリリー・クラウス。
抑留所で、必要なピアノが用意されたときのリリーの喜びの描写がまた素敵だ。
リリーは弾き続けた。やはり、ピアノに触れている自分が、最も自分らしい。我ながら、水を得た魚のようだと思った。この半年で、今のこの時間ほど楽しい時があったろうか。生きている自分を、これほど強く実感することがあったろうか・・・。
一時間が過ぎたところで、近藤が立った。
「すみませんが、私もこの部屋にばかりはいられません。今日のところは、このくらいでお引き取り下さい」
もっと、もっと、リリーは弾きたかった。哀願するような目で、近藤を見た。
だが、近藤は、慎重さを崩さなかった。
「週に一度、私がここを訪れる間は、自由にピアノをお弾き下さい。私としても、もっと貴女に弾いていただきたいが、しばらくは、私が責任を持てる時に限らせて下さい」
近藤の慎重な態度から、自分の受けている待遇がいかに特別なものか、リリーにも察しがついた。近藤の慎重な態度から、素直に感謝しなければいけないと思った。
~同上書P196-197
そして、その1週間後、抑留所長の近藤からクリスマス・コンサート開催の提案があったのである。
わずか1時間ほどのプログラムとはいえ、そこでリリーが選曲したのはオール・モーツァルトであり、ソナタ第8番イ短調K.310、幻想曲ハ短調K.475、そしてソナタイ長調K.331「トルコ行進曲付」だった。

「疾風怒濤、嵐のような」と表現されることが多いイ短調ソナタ第1楽章アレグロ・マエストーソ。それは、就職活動のため共にパリ、マンハイムなどを旅していた最中に母を喪失した悲しみの表れだといわれるが、クラウスの腕にかかれば何と余裕のある、安息の音楽へと変貌することか。そう、悲しみどころか、喜びの念さえ感じられるのだ。
そして、第2楽章アンダンテ・カンタービレ・コン・エスプレッシオーネはいかにもリリー・クラウスらしい慈悲深き祈りの歌(ずっとこの音楽に浸っていたいとさえ思わせるもの。さすがにアンドレ・シャルランの創り出す音世界!)。
さらに終楽章プレストも、プレストとはいえ、急がず慌てず、青年モーツァルトの神々への、天への大いなる感謝を音化する力強いものだ。
モーツァルト弾きと言われたリリー・クラウスの真骨頂がここにある。


