ドイチュ ハミルトン VOCES8 J.S.バッハ コラール「主よ、人の望みの喜びよ」(カンタータ第147番BWV147「心と口と行いと生きざまは」)

1723年、聖母マリア訪問の祝日のために作曲されたとされるバッハのカンタータ第147番「心と口と行いと生きざまは」。中でも有名なコラール「主よ、人の望みの喜びよ」は、様々な編曲によって世界中で愛聴されている名曲だ。バッハの天才は、論理的数学的思考と情感に訴える名旋律を生み出す完璧なバランスにあると思う。

かつてカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団による名盤を繰り返して聴いた。これは今でもこの作品の代表的な名演奏だと思う。

そして、何よりマイラ・ヘスがピアノ用に編曲し、それをディヌ・リパッティが弾いた渾身の演奏のあまりの美しさに、当時10代の僕は打ちのめされた。やはり同じく齢60になった今も屈指の演奏だと痛感する。

そして、もう一つ、ジョージ・ウィンストンが即興的アレンジを施した”Joy”の素晴らしさ。軽快な、ポップな、まるでクリスマスの魔法のようなピアノの音色にやはり40年前、僕は打ちひしがれた。

演奏とは、再現とは、極めて主観的な行為だろう。
まして即興的要素に色塗られるバッハの時代にあって、客観など存在しないのだ。

オーボエとオルガンという、シンプルかつ清澄な楽器の伴奏でVOCES8の天上の歌が何と透明な響きを醸すのだろう。

こうしたパリの初夏がこの上もなく私を酔わせるのは、いつ終るともない、長い、透明感の溢れる夕暮の薄明りである。太陽はすでに西に沈んでいるのに、空は明るく冴え冴えと晴れ、その反射光のなかで、地上も白夜のような菫色を含んだ澄明感を湛えているのだ。そんなとき、窓辺から老人夫婦が仲よく並んで肘をついて外をみていたり、ゼラニウムの鉢に水をやっている娘の姿が見えたりする。黒つぐみの鳴くのはそんな夕暮れで、澄んだ、甘い、メローディアスな声で、高く低く、途切れることのないお喋りをはじめるのだ。
「初夏の心象から」
「辻邦生全集16」(新潮社)P119

物を書くために生まれて来た辻の描写はいつも生き生きとして、まるでバッハの謹厳実直な楽譜に命を吹き込むオーボエ吹きのように簡素であり、また明朗快活だ。

過去記事(2019年8月11日)


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