
現在の混沌とした世界の情勢とはまた違った意味で、1930年代の欧州の、先の見えない暗澹たる不透明さは予断を許さぬものだった。しかし、当時の一般大衆はそのことに気がつかず、とても楽観的だった(世界は個人が想像もしない形であっという間に変転した!)。
この楽観的な気分のうちに、私はその翌日、客演指揮者としての義務を果たすためにアムステルダムに向かった。私たちは、2週間ばかりしたら帰ってくるつもりで、娘に陽気なさようならを言った—何が彼女を待ちうけていたか、私たちは予感すらしなかった。何がオーストリアに迫っていたかということを、また、自分たちがもはやこの国に再会できない運命にあるということを、私たちは予感すらしていなかったのである。
~内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P430
人間の想像を超えた劫難は突然やって来る。
だからこそ法船に乗ることが大事なのだとつくづく思う。
壮絶なるマーラーの交響曲第9番ニ長調!!
厳しい状況下にあって、否、あったがゆえの筆舌に尽くし難い音楽の奔流にいつ聴いても心が激しく動く(こんな歴史的なドキュメントは他にはないだろう)。
(しかし、指揮者本人は後年突如として発売された時、非常に批判的だったらしい)
しかしこの時までは、ウィーンでの仕事はいつも通りで、ワルターはウィーン・フィルとのレコーディングに精を出し、モーツァルトの交響曲《ジュピター》の卓越した録音が成された。しかし最も重要なものは、マーラーの交響曲第9番の初の全曲録音であることは確かだ。これはムジークフェラインザールでの1月16日のライヴ演奏から取られたものである。この楽友たちとの戦前最後の録音の一つという大変な取り組みについて、後年ワルターは非常に批判的な態度を取り、自分の知らない間にRCAビクターが1954年にこれを発売すると動揺した—彼は『ニューヨーク・タイムズ』を読んでいて気づいたのだった。ジョージ・マレクへの辛辣な手紙で、ワルターはレコード会社が事前に自分に相談することなく事を進めた無礼を非難している。「この録音には音楽的にも技術的にも不備があることに、あなた方は気づいたはずです」と彼は書いている。「オーストリアであった1938年3月の政治的動乱のために、あの時オランダの私の許に送られてきたテスト盤の真価を吟味するのに集中する力が大きく削がれ、最終的な許可あるいは不許可を決するのはとても困難だったのです。」マレクはこれに応じてこの録音を称えるとともに、ワルターにレコードを送って、もう一度聴けば違った印象を持つかもしれないと伝えた。これに対するワルターの返事は、若干気持ちが和らいでいるようだが、ライヴ録音では避け難い落とし穴である咳の声が聞こえると、まだ文句を言っている。
~エリック・ライディング/レベッカ・ペチェフスキー/高橋宣也訳「ブルーノ・ワルター―音楽に楽園を見た人」(音楽之友社)P164
当時はまさに「レコード芸術」全盛の時代。
咳の音が聞こえることこそドキュメンタリーの骨頂であり、そこに真の迫力を感じるのである。この歴史的なレコードについてはもはや僕がどうのこうのと書くことは一つもない。
多くの人に虚心に耳を傾けていただきたい、そんな思いでいっぱいである。
・マーラー:交響曲第9番ニ長調(1909)
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1938.1.16Live)
あまりの緊張感!!
第1楽章アンダンテ・コモドから比較的性急なテンポを取りつつ推進力に富む演奏が繰り広げられるが、この時のワルターの心中やいかに?
(実際には音楽に集中するあまり客席からのナチス・シンパの妨害に気づかなかったかもしれない)
第2楽章に垣間見る世界平和と安寧を願わんとする心構え、さらには第3楽章ロンド・ブルレスケに思う、怒りの矛先をどこに向ければ良いのかと葛藤する心情、すべてが90年前の録音とは思えぬリアリティがある。
終楽章アダージョの渾身の祈りは、ウィーンでのラストを飾るブルーノ・ワルター命がけのパフォーマンスだ(もちろんその時本人にその意識も意志もない)。
1938年3月13日、ナチス・ドイツがオーストリアのウィーンを併合。
ドイツ系オーストリア人は大志をいだいていた。
かれらはつねに大ドイツ帝国の枠内で生活することに慣れており、ドイツに関連している」課題に対する感覚を決して失っていなかった。かれらはこの国家において、狭いオーストリア帝国直轄地の境界をこえて、なおドイツの領域を見ていた唯一の人間であった。そのうえ運命がかれらをついに共通の祖国から分離したとき、かれらはこの巨大な課題を解決し、父祖たちがたえまない闘争でかつて東部からもぎとったドイツ主義をいつもなお維持しようとしたのだった。そのばあいなお次のことに注意すべきである。すなわち分裂した力だけではこれはなしえなかったのだ、ということである。というのは、最もすぐれたものの心と追憶は、決して共通の母国を感ずることをやめたのではなく、ただその残余だけが故郷にとどまっていたからである。
~アドルフ・ヒトラー/平野一郎・将積茂訳「わが闘争(上)I民族主義的世界観」(角川文庫)P102
ヒトラーの妄想たる「民族統一」の許での独断的強行の恐ろしさ。
(そもそも「分断」が前提になっている点、そして個人的な不安を根源として領土侵犯を強行している点などなど)
「慈」の対義語は「殺」だという。
グスタフ・マーラーの音楽が実に雄渾に響く(ここには一人の慈愛溢れる指揮者の抗う姿が刻まれる)。
