尊敬する友よ!
医師—患者さん、いかがですか。
患者—良くありません。いまだに非常に衰弱しています。胸やけなどします。いよいよもっと強い薬が必要のようです。だが便秘させないでください。—もう水で割った白葡萄酒は飲んでもいいのではないでしょうか! というのは悪いガスの多いビールはわたしに悪いばかりですから。—わたしのカタル症状は次のような具合です。かなり多量の血を吐きました。たぶん気管からだと思います。鼻血はよく出ます。この冬は何度も出ました。しかも、胃はとても弱っています。これはわたしの体質でしょうが、胃が悪いのは間違いありません。自分の体質を考えると、それだけでも元の力を取り戻すのは難しいようです。
(1825年5月13日付、アントン・ブラウンホーファー博士宛)
~小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(下)」(岩波文庫)P168
ガリツィン侯からの委嘱を受けての弦楽四重奏曲の創作が続く中、ベートーヴェンは身体の不調を訴える。血まで吐いての、壮絶な病との闘いは想像を絶するものだ。
当時の会話帖をひも解くと、ブラウンホーファーの言葉として次のようにある。
夜眠れるようにするには、日中に働くようにしなければいけません。本当に健康になり、長生しようと思うのでしたら、自然に従った生活をしなければなりません。あなたは非常にカタル性の体質です。あまりとんでもないことをなさってはいませんが、でなかったらひどい腸カタルになっていますよ。その素質はまだ体に残っています。
~同上書P172
至極真っ当なアドバイスである。
ベートーヴェンは質の悪いワインを常飲していたというから、そもそもそれが彼の身体を徐々に蝕んでいった要因の一つであることは間違いないだろう。実際、このやりとりのときもベートーヴェンは葡萄酒を所望したらしい。
この頃、ベートーヴェンが作曲に取り組んでいたのは、ガリツィン侯爵のための四重奏曲のうち2番目のものだ。冒頭に「病が癒えた者の神に対する聖なる感謝の歌。リディア旋法による」という書き込み、そしてアンダンテの部分に「新しき力を感じつつ」という書き込みのある第3楽章の特別な美しくも崇高な音調は、文字通りベートーヴェンの神への感謝の思念によるものだ。
アルバン・ベルク四重奏団の旧い方の録音は、全盛期の彼らの鋭敏な感性を投影してか、いつまでも色褪せない鋭さを持つ。一切の感情を排した、それでいてベートーヴェンの当時の心境を心から歌い込もうとする姿勢に恐れ入る。実際には彼らは音楽そのものに無心に奉仕しているのである。そのことは、第1楽章アレグロ・ソステヌート—アレグロの最初から明らかだ。第2楽章アレグロ・マ・ノン・タントの生命力。短い第4楽章アラ・マルチア,アッサイ・ヴィヴァーチェの弾ける力は、いよいよ恢復したベートーヴェンの歓びの発露であり、続く、元々は交響曲第9番終楽章のための素材を使用して生み出された終楽章アレグロ・アパッショナートの熱狂も、アルバン・ベルク四重奏団にかかるとどこか冷めた、客観的なものとして再生されており、興味深い。
時間をかけて体質を変えることを考えるのですね。
あなたがもっと立派な体になられるといいのですが!
わたしはあなたの書かれたものを大いに摂取して成長して来たのです。いわばあなたの弟子みたいなものです。
~同上書P172
ベートーヴェンの主治医だったアントン・ブラウンホーファーの温かい、尊敬の言葉(会話帖から)が心に響く。