ハイドシェック ヴァンデルノート指揮パリ音楽管 モーツァルト ピアノ協奏曲第20番K.466(1960.6.3録音)ほか

音楽家には、エネルギッシュに動いて肉体的にさまざまな経験をすることがとても大切だと私は思います。たとえば速く走って急激にストップする、そのときに身体にかける強い抵抗の力。こうした感覚は自分で身体を動かしてみることではじめて体感できます。あとはたとえばプールで水の中に飛び込む感覚。このようなリズム感は体感しなくては理解しがたい。
そういった肉体的経験を持って初めて、ペダルや鍵盤を通してつけるアクセントを理解し、音符に込められたさまざまな音楽表現や表情を再現することができるようになるのです。

(エリック・ハイドシェック)
ピアノ音楽誌「ショパン」2009年7月号(ショパン)P9

ステージ上のハイドシェックは、演奏中はもちろん大変な集中力に溢れるのに対して、曲間では妙な動きをしたり、不思議なパフォーマンスをすることがあったが、あれは専らリズム感を鍛えるための習慣になった動きだったのかもしれないとふと思った。常人には理解できない感覚とでも言おうか、音楽表現はもとより、彼の存在すべてがまさに表現であり、表情だった。

正直、これらの演奏に以前はあまり惹かれなかった(何を聴いていたのだろう?)。
久しぶりに耳にして、何と若々しい、颯爽とした、そして実のある、美しい表現であることか、と驚嘆した。何より真っ新な、同時に、透き通った歌。時にモーツァルトの慟哭が聴こえ、時にモーツァルトの欣喜雀躍たる歓喜が顔を出す。見事としか言いようがない。

モーツァルト:
・ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466(1960.6.3録音)
・ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488(1960.6.8録音)
エリック・ハイドシェック(ピアノ)
アンドレ・ヴァンデルノート指揮パリ音楽院管弦楽団

モーツァルトの短調と長調の、それぞれ傑作を天衣無縫に駆け抜ける歌。いずれもハイドシェック自身によるイマジネーション溢れるカデンツァが実に魅力的。

ハイドンさんは私にこう言われたのだ。「誠実な人間として、神の前に誓って申し上げますが、ご子息は、私が名実ともに知るかぎりの最高の作曲家です。様式感に加えて、この上なく広い作曲上の知識をお持ちです。
(1785年2月16日付、レオポルトからナンネル宛)
~高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P345

傑作ピアノ協奏曲ニ短調K.466が完成した頃の、父レオポルトから姉ナンネルへの手紙にはそういう報告がある。光と翳の明滅。いかにハイドンがモーツァルトの才能を絶賛していたか。

あるいは、もう一つの名演奏ピアノ協奏曲イ長調K.488は、得も言われぬ哀感を伴う第2楽章アダージョが出色。続く終楽章アレグロ・アッサイの、珠玉のようなピアノ独奏に心が弾む。

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