
愉快なモーツァルト、心躍るモーツァルト。年齢を重ねるごとに彼の音楽が一段と恋しくなる。変幻自在のモーツァルト、器の大きなモーツァルト。
モーツァルトの父レーオポルトは単に職人的音楽家ではなく、合理的教授法を身につけた教養ゆたかな人間でもあったから、5歳になったばかりの息子がクラヴィアを弾きながらみずから作曲もできるのを聴いて、狂気せんばかりに満足したであろう。わが子に神童の光を見たのだ。神から与えられた天賦の才能を多くの人びとに示すことこそ父親としての聖なる使命だと考えたとき、その聖性に付随していったプロデューサー的俗性が、その後のモーツァルトの才能開発にプラスしたと同時に負担ともなっていった。プロデューサーの名誉心と打算は、天才を売りものにしようと情熱を注ぐ分だけ、かれを深く傷つけていくのだ。
(松永伍一「花と鬼の宴—世阿弥の内景」
~「モーツァルト 18世紀への旅 第4集 聖と俗の坩堝」(白水社)P141
この世は実に矛盾に溢れている。相対するものが拮抗する中で起こる奇蹟。もちろんそこには緊張があり、また緩みがある。モーツァルトの夭折の遠因は、父レーオポルトからのストレスという論もあるくらいだから、モーツァルトの心は間違いなく深く傷ついていたのだろう。しかしながら、そういう過酷な状況においても天才はペンを決して疎かにしなかった。依頼があれば美しい音楽を書いた。
ザルツブルクのエルンスト・ロードゥロン伯爵夫人アントーニアと2人の娘、アロイージアとジュゼッピーナのために作曲された3台のピアノのための協奏曲ヘ長調K.242。1776年2月作曲。音楽はとことん簡潔で易しく、世界を鷹揚な空気に包み込む。レナード・バーンスタインが指揮とピアノを受け持った録音は、澄から隅まで愉快でまた力強さ漲るものだ。何より楽しく、聴いていて心が前向きに作用する(終楽章ロンド,テンポ・ディ・メヌエットは何と確信に溢れた演奏なのだろう)。
バーンスタインは仲間を必要とした。彼ほど人を愛した人はいなかったのではないかと思うほど、寂しがりやであり、また自由で奔放な人だった。だから、彼の周囲にいる人間は誰もが大変だった。
バーンスタインも家族に利益をもたらした。彼はやがて、ジャルニ(JALNI—子どもの名前の頭文字をつなげた言葉)という会社をつくり、仕事から入る利益の一部を子どもたちに分け与えた。感情面では、バーンスタインの日常はさらに複雑なものになっていた。1970年にロンドンへ旅行したときは、フェリシアも同行した。そのとき、彼は友人のグループに、妻を心から愛しているので、妻がいなければ一日も暮らせないと話している。それからフェリシアを連れずにローマへ向かい、2週間半滞在した。そのローマ滞在中には、ゴア・ヴィダルがお膳だてしたホモセクシュアルの乱交パーティに参加している。ローマでは、エドマンド・バードンのガールフレンドにつきまとわれたりもした。だが、いくら彼女が追いまわしても無駄だった。
~ジョーン・パイザー著/鈴木主税訳「レナード・バーンスタイン」(文藝春秋)P415
堂々たるピアノ協奏曲ハ長調K.503。いとも容易くピアノを操るバーンスタインのモーツァルトへの想いが詰まった名演奏。第1楽章アレグロ・マエストーソの、ある瞬間に感じ取れる(ラ・マルセイエーズに似た主題)一抹の寂寥感こそ一切の感情を包み込むモーツァルトの真意であり、また喜怒哀楽すべてを愛するバーンスタインの真骨頂ともいえる(カデンツァでのバーンスタインの表現力がたまらなくカッコイイ)。また、第2楽章アンダンテの、安らぎに満ちたピアノの音に僕の魂は恍惚となり、終楽章ロンド,アレグレットの明朗な音調に僕の気分は上々になる。これぞモーツァルト×バーンスタインの効果だろう。