
1868年頃は、ブラームスとクララの関係に多少のほころびが見えた年だ。否、ほころびどころか、緊迫した不和の様子がクララの手紙から読み取れる。
「リナルド」についてのお知らせは、大変興味深く思いました。ジムロックから歌曲集が出版されましたら、どうか私にも一部お送りくださいね。キルヒナーの結婚についてお書きでしたが、私はまだ婚約の話しか聞いておりません。
あなたのためにはリーターのお嬢さんが、一番好もしい令嬢のように思えます。きっとどんなにお美しくなられたことでしょうね。それに作曲家に必要な資産もついているでしょう! あなたは考えてみたことがないのですか? このように表面的にも内面的にも(彼女の気持ちもあなたに傾いている様子です)好もしい条件なのですから、あなたのために私は心から望んでおりますし、時間の問題だと思っております。あなたもどんな理由があっても、そういつまでも独身でいてはいけません。
(1868年9月4日付、クララよりヨハネスへの手紙)
~ベルトルト・リッツマン編/原田光子編訳「クララ・シューマン×ヨハネス・ブラームス友情の書簡」(みすず書房)P181
バーデン・バーデンに滞在するクララからの手紙は、まるで母親からのそれのよう。このとき、ヨハネス・ブラームス35歳。5年を経ていよいよ完成に向かう「リナルド」についてブラームスはどう言及したのか、興味深い。
あなたの作曲はいかがですか。「リナルド」の最後の合唱は? それからハ短調の交響曲はすすんでいますか。
降誕祭ごろはデュッセルドルフに行き、2週間ばかり静養したいものです。
(1863年11月25日付、クララよりヨハネスへの手紙)
~同上書P136
演奏旅行でシュヴェリーン(ドイツ北部の町)に滞在するクララは、多忙の中ずっとヨハネスのことを気にかけていたように思われる。それにしても難産の傑作交響曲第1番と合わせて「リナルド」の完成を待ちわびるクララの様子に思わず笑みがこぼれる。
イタリアの詩人トルクァート・タッソの英雄叙事詩「解放されたエルサレム」を、詩人に入れ込んでいたゲーテがいわば読み替え、脚本化したものが「リナルド」だ。
リナルドと合唱による「いま私にはあの美女の変容したすがたが見える」に、いかにもブラームスらしい、交響曲第1番の激性と双生児のような音調を僕は垣間見る。伸びのある、朗々たるキングの歌唱が何より素晴らしい(若きクラウディオ・アバドの棒は堅実ながら勢いがあってとても良い)。
直前、天の声たる合唱がかく歌う。
合唱:
先祖代々の德のため
英雄は元気を奮い起こす。
それに対して、リナルドは次のように応えるのだ。
リナルド:
これで二度目だ、
私がこの谷間で
女性の中の女性が
現われ、悲しみ、
泣くのを見るのは。
これを私は二度も見なければならぬのか。
(門馬直美訳)
リナルドの内にブラームスは自分自身を発見するようだ。それこそクララとの不和を内心嘆いているのである。それにしても彼は、見えない力との対話を何と力強い音楽で描き切るのだろう。言葉では正面切って腹の内を吐露できない彼も音楽では見事に表現する。