モーツァルトの美しさは、何に譬えたものであろう。それは真に玲瓏たる美しさであり、邪念の無い愛情と光明とに満ち溢れた美しさである。小児にも、素人にも、直ちに笑みかけるのが、モーツァルトの音楽であるが、同時に、最も聡明な新人達—わけても音楽の専門家達が、最後に行き着く理想的な「美の沃土」もまた、モーツァルトの音楽でなければならなかったのである。
~あらえびす「クラシック名盤楽聖物語」(河出書房新社)P68
あらえびすの言葉は実に優雅だ。これほどにモーツァルトの音楽を端的に称えた言葉は他にはない。あるいは、小林秀雄はゲーテを引用して、モーツァルトの不可思議を見事に表現した。
エッケルマンによれば、ゲエテは、モオツァルトに就いて一風変わった考え方をしていたそうである。如何にも美しく、親しみ易く、誰でも真似したがるが、一人として成功しなかった。幾時か誰かが成功するかも知れぬという様な事さえ考えられぬ。元来がそういう仕組に出来上っている音楽だからだ。はっきり言って了えば、人間どもをからかう為に、悪魔が発明した音楽だと言うのである。ゲエテは決して冗談を言う積りではなかった。その証拠には、こういう考え方は、青年時代には出来ぬものだ、と断っている。(エッケルマン、「ゲエテとの対話」—1829年)
~小林秀雄全作品15「モオツァルト」(新潮社)P47
有名な「モオツァルト」冒頭の言は、今となっては少々古臭い印象を与えなくもないが、なお燦然と輝く力が漲るものだ。果たしてモーツァルトの音楽は悪魔が発明したものなのかどうなのか。
そして、今は亡き吉田秀和が若き日に上梓したモーツァルト論は、どれもが現実的な筆致で、またどれもがモーツァルトへの愛情に満ちている。晩年のモーツァルトの作品に触れ、吉田はかつて次のように書いた。
モーツァルトの芸術が革新的だったとすれば、ここにそのモメントの一つがある。彼はもう自分の勝利を信じきれない。日一日と生活の困苦は加わる。何を当てにするでもない。ただ彼は一生を耐え忍び通した。そうして音楽を作るほかに生きようのない彼は、ただ歌った。その歌は甘くて苦い。そこには苦渋と歓喜、優雅とすさまじさが分かちがたく織りまぜられてある。
~「吉田秀和全集1 モーツァルト・ベートーヴェン」(白水社)P44
モーツァルトの音楽には美醜を超えた絶対的な美があるとでも言いたいのだろうか、三者のモーツァルトへの想いは三様だが、それが永遠不変のものであることに違いはないだろう。
伝説の名プロデューサー、ウォルター・レッグに見出されたデニス・ブレインの演奏は、若干16歳にしてすでに完成の域にあったといわれる。伸びのある、朗々たる響きのモーツァルトの協奏曲にはもちろん感激するのだが、しかし、この音盤の一番の魅力は、父オーブリー、そして全盛期のレナー弦楽四重奏団との共演によるディヴェルティメントニ長調だ(戦前録音)。4つの弦楽器の時代がかった音色がモーツァルトの喜びを刺激し、そこに得も言われぬふくよかなホルンの響きが重なる一瞬の様子に涙が出るくらい。
エディンバラ音楽祭からロンドンへの深夜の帰途、自身の運転する自動車事故のため弱冠36歳で亡くなったデニスの早世が実に惜しまれる。