滑川真希 デニス・ラッセル・デイヴィス ショスタコーヴィチ 交響曲第4番(2台ピアノ編曲版)(2018録音)

ドミートリイ・ドミートリエヴィチがどう思っていたかは分かりません。ただ、私は会場に疑念が漂っているのを感じました。音楽界、さらに重大なことに過激派グループの間にも、ショスタコーヴィチが過去の批判を無視して、形式主義がぎっしり詰まった、とてつもなく難解な交響曲を書いたという噂が広まっていました。
ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」(アルファベータ)P132-133

そもそも形式主義とは何ぞや?
ソヴィエト連邦においては、大衆への訴えかけを欠いた、モダニズムに傾斜した音楽をそう呼んだ。つまり、ソヴィエト芸術文学の基本方法である「社会主義リアリズム」を無視した作品だというのである。

音楽の社会主義リアリズムは、国民楽派の伝統、すなわち、①民謡、②標題音楽、③民族的テーマ、この3つの重視である。これをほぼそのまま受け継いだ上で、③にソヴィエト的テーマ(党の指導者や共産主義建設に燃える労働者の表出など)の重視が加えられ、なおかつ、④楽天的世界観の表明という役割も持たされたものである。このいわゆるオプティミズムは当時の人々のメンタリティを示すものでもあり、単なるイデオロギーに留まるわけではない。
「ショスタコーヴィチ大研究」(春秋社)P50

まさに架空の、歪んだ理想の桃源郷において自発的な創造行為は身の危険を伴った。

意気消沈した連れ(ショスタコーヴィチ)がずっと黙っているので、私は困惑し、不安になりました。とうとう彼は、抑揚がなく無表情とも言える声で、交響曲は演奏されない、レンジンの執拗な忠告により引っ込められたと言いました。管理者としての手段に訴えたくなかったレンジンは作曲家を説き伏せ、彼自身が交響曲の演奏許可を与えなかったということにしたのでした。
ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」(アルファベータ)P133

イサーク・グリークマンのこの証言が当時のソヴィエト連邦における恐怖政治の恐ろしさのすべてを物語る。それから25年後にようやく初演された交響曲第4番は、人間の業を一身に背負った、(想像を絶する)巨大な構造物だった。

・ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調作品43(作曲者による2台ピアノのための編曲版)
滑川真希(ピアノ)
デニス・ラッセル・デイヴィス(ピアノ)(2018録音)

2台ピアノ版を聴いて僕は卒倒した。
ショスタコーヴィチがピアノの名手であったことが幸いする、真に核心に迫る、赤裸々な音楽よ。管弦楽の余計な(?)色彩を省いた、阿鼻叫喚の物語だが、しかし、終楽章ラルゴ―アレグロに至っては、いかにもショスタコーヴィチらしい音調が随所に現われ、しかも、断った二人で創造される音楽の精密な醍醐味に魂が震えるほど感動を覚える。

ミャスコフスキーは、1936年12月11日に自分の日記にこう書き留めている。「ショスタコーヴィチは度重なる議論にひどく悩まされ、雄大なスケールでまばゆいばかりの新しい(第4)交響曲の上演を取りやめてしまった。我々同時代人にとって、何と不面目なことか」。1945年にショスタコーヴィチとモイセイ・ヴァインベルグは、2台のピアノのために作曲家が編曲した交響曲第4番を力強く演奏した。それを聴いた作曲家の生徒であるエヴゲニイ・マカロフは、なぜ10年前、その作品が演奏にふさわしくないとみなされたか、納得がいった。
~同上書P134-135

時代の潮流から外れた、国家の思惑をも無視した、作曲家が創造主との対話の中で自発的に生み出した交響曲は、真に難解だった。しかし、時が追いつけば、これほど強烈な、そして美しくも哀しい、人々の心に訴えかける音楽はないだろう。何という素晴らしい音楽か。

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