何度、海底の深淵に
死を憧れて、身を投げたことか!
だが、あぁ! 死ぬことはできなかった!
~井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集1―《妖精》から《パルジファル》まで―」(水曜社)P154
オランダ人のモノローグにある悲痛な心の叫び。
憧れと焦燥と諦めと、自身の業力の強さを嘆く様子をジョージ・ロンドンは艶のある低声で厳かに描く。生も死も自身の願い通りに運ぶものではない。
あるいは、ハンス・ザックスの感覚的な思考を、戸惑いながらも確信的に表現する力量は、ロンドンならでは。
確かに、あの歌はダメだよなぁ。
感じられはするが、よく理解できん。
覚えられないが、忘れることもできない。
全体は把握できるが、評価できない!
とらえどころのない物を、
どうやって評価しようというのだ?!
当てはまる規則などなかったが、
さりとて間違いも一つもなかった。
とても懐かしい響きだったが、斬新でもあった。
~同上書P306
ワーグナー唯一の人間喜劇を実に憂いの心情を込め歌にする様よ。
そして、思考の鎧にはまり、自らの首を絞める人間の愚かさを悟るザックスの新境地をロンドンは明快に歌う。
思い込み!錯覚!
至る所、はかない幻想だ!
どうして人は無益に怒り
とことんまで
自分を痛めつけ苦しめるのか、
その原因を探ろうと、
街の編年史や世界の年代記を
調査・研究しても、至る所はかない幻想だ。
~同上書P338
真実に目覚めるリヒャルト・ワーグナーの本懐。
ここではロンドンの歌唱もさることながら、やはりクナッパーツブッシュの指揮する管弦楽の力量が大きい。
極めつけは「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」。冒頭、管弦楽の咆哮からクナッパーツブッシュの真骨頂。数多の「ワルキューレ」終曲の中でも他を冠絶する圧倒的パワーを誇る神々の長ヴォータンの本と末を違えない、自身の人生(?)と神性を賭けた永遠の信条吐露よ。ここでのロンドンの歌は、なんと悲しく、しかし、何と強い意志を持っているのだろうか。
ジークムント、ジークリンデ、ヴォータンの苦悩、ヴォータンの意志どおりに働きながらも抵抗するブリュンヒルデなどに関すること—これらすべてのことは、最初の晩に舞台に登場しなければならなかった。それがどんなに苦しい責務であったとしても、またどれほどの齢を彼が重ねようとも。「ヴァルキューレ」が書かれねばならなかった。そして彼がこれを知ったとき、すでに次のことを知っていた。当然3晩でも終らなかったこと、結論的に第4の序となる劇がこれらの前に来なければならないこと、そしてそのなかでは、究極、すなわち最初、原初に至るまですべてのものが、事の発端が、つまり黄金の略奪とアルベリヒの呪い、愛への呪いと黄金の呪い、ヴォータンの頭のなかでの剣の考えの最初の閃き―が人々の単純な感覚の前に提示されねばならなかったこと、を。最初にラインがあった。
(リヒャルト・ワーグナーと「ニーベルングの指環」1937年11月)
~トーマス・マン/小塚敏夫訳「ワーグナーと現代(第2版)」(みすず書房)P175
めくるめくワーグナーの音楽の、物語の秘密をトーマス・マンは解き明かすように語る。
ワーグナーの音楽そのものがもはや呪いだ。