しかし、すべての意識を一つに結びつけているもの、人間の独自な自我をなしているものが、時間を超えて存在し、過去・現在を問わず常に存在するという事実や、中断しうるものは一定時間の一連の意識にすぎないという事実を理解しさえするなら、肉体の死にともなう、時間的にいちばん新しい意識の消滅なぞは、毎日の眠りと同じように、真の人間的な自我をほとんど消滅させえないことが明白になる。
(第29章「死の恐怖が生ずるのは、誤った観念によって限定された生命のごく小さな一部分を、人が生命と思いこむためである。」)
~トルストイ/原卓也訳「人生論」(新潮文庫)P162
肉体を動かす霊性こそが真であることをトルストイはもちろん見抜いていた。
僕たちの人生において本来恐れるものなどひとつもない。恐れそのものが、最も恐れるべきものなんだと思う。
鋭利な刃物で切り裂くような烈しさと内から湧き出る慈悲の思念。
音楽の女神ムーサとの協同で生み出された永遠不滅の作品をかくも冷徹に、同時に個性的に、またロシア的郷愁込めて表現する様子にエフゲニー・ムラヴィンスキーの天才を思う。
独自の選曲によるセンス満点のバレエ音楽。ロメオとジュリエットの因縁の恋も文字通り因果の環の中にあるもので、死というものを通じて浄化されんとシェイクスピアは願ったのだろうが、業の力はますます強く、幾度生々死々を繰り返せど、真の意味で一つになること(悟ること)は不可能だった。何より第1曲「モンタギュー家とキャピュレット家」に付されたプロコフィエフの音楽にある冒頭の激する音楽が一転、かの有名な舞曲が奏される瞬間の得も言われぬ感動に言葉がない(ムラヴィンスキーがほくそ笑む)。
素晴らしいのは何といってもチャイコフスキー晩年の傑作「くるみ割り人形」からの抜粋。
渾身の想いを込め、ムラヴィンスキーが歌う、そしてまたオーケストラがうねる。白眉は第9曲「情景と雪片のワルツ」から第15曲「終幕のワルツとアポテオーズ」までの、あまりに美しい旋律の宝庫と情感の圧倒的な発露!
1981年晦日と大晦日、ムラヴィンスキーの創出する音楽は魂にまで響く。嗚呼。