Klemperer The Last Concert A Film by Philo Bregstein

幾度もの試練を乗り越え、そのたびごとに不死鳥の如く蘇ったオットー・クレンペラーゆえの後世へのご褒美とでも表現すれば良いのかどうか。残された録音も映像も、19世紀生まれの大指揮者の中では最高かつ最善のものであることが奇蹟だが、この最後のコンサートにまつわるドキュメントは出色。リハーサル風景も、あるいはニュー・フィルハーモニア管弦楽団の当時の団員たちによる回想も、すべてが(僕にとっては初めて耳にする)リアルなエピソードであり、感動を新たにするものだ。

楽器の音色やバランスからテンポに至るまで細部にこだわるクレンペラーの晩年の空前絶後の解釈が、基本的にゆったりとし、堂々たるテンポで進められるその演奏が、すべて丁寧かつ堅実な研究のもとに行われた成果であり、単に老練の棒と称するものでなく、何十年にもわたる精錬の結果であることを証明するかのような確かな楽音にどの瞬間も満たされている。

第2チェリストであるカレン・スティーヴンソンの回想はこうだ。

誰にも好かれる傑出した人で、尋常ではない存在感がありました。
彼に対しては皆静粛で敬意に満ちていました。そして、控え目ながら音楽への強い情熱を感じました。
クレンペラーはよく左手で音楽のバランスを取り、望む旋律を導きましたよ。それは、細かく指示的ではなく、豊かな身振りで落ち着いた雰囲気の指揮でした。
ちなみに、私はちょっと怖い人かなと思ったけど、そんなことはなかったわ。
細かく指示を出す代わりに皆がお互いに聴き合うように、今でも残る良い習慣に導いてくれたと思います。

彼はいつも表情と細かい音価も大切にして、すべてが満たされるよう要求したわね。
それが今に残る良く響く弦の由来かな。けばけばしくならないまろやかな響きは彼のお陰だわ。

・Otto Klemperer’s Long Journey Through His Times
・Klemperer The Last Concert
Two Films by Philo Bregstein

1971年9月26日、ロンドンはロイヤル・フェスティヴァルホールでのクレンペラーの最後のコンサートにまつわるリハーサルなどのオフステージをとらえた貴重なドキュメントが実に興味深い。
ローマは一日にして成らず。
不屈の精神で挫折や大怪我などのトラブルを超え、その度ごとに復活を遂げるオットー・クレンペラーの、年齢を重ねるごとに神格化される音楽の深遠な業。その秘密の一部がついに明かされるのを目の当たりにしたように僕は思った。最高!

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