ベートーヴェンが難聴の自覚を持ったのは1798年頃であったらしい。
しかも年々悪化を辿るのだから本人も気が気ではなかっただろう。
翌1799年、彼はついに最初の交響曲のスケッチを始める。また同時期、ブルンスヴィク伯家姉妹テレーゼとヨゼフィーネに彼はピアノを指導する(ヨゼフィーネは同年ヨーゼフ・ダイム伯と結婚し、4人の子どもを設けるが、1804年に早くも未亡人となり、やがてベートーヴェンと恋愛関係に陥ることになる)。
ベートーヴェンの最初の交響曲はシンプルながら個性的かつ革新的で、後の彼の活躍を予言するような音調が漲る。
「第一交響曲」もラインから生まれた作品であり、自分の回想のまぼろしに向かって微笑している若者の詩である。この交響曲は快活で憧れ心地に充ちている。そこには人を楽しませたい欲求と、楽しませ得るという希望とが感じられるのである。しかしある楽節、たとえば導入節や幽暗な或る低音の明暗や幻想的なスケルツォにおいて、われわれはまことに大きな感動をもって、やがてきたるべき天才的精神のひらめきを、この若い姿の中に感取する! それらのひらめきは、ボッティチェリの描いた「聖家族」の中の、幼児キリストの眼の輝きである—早くも近づいて来ている悲劇を人がそこに確かに認め得るところの幼な児の眼の輝きである。
~ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)P30
ベートーヴェンへの尊敬に満ちるロマン・ロランの表現は、何と巧みなのだろう。第1楽章序奏アダージョ・モルト、あるいは終楽章冒頭アダージョの熱量に感化されるロランの言葉は重い。
カイルベルトの純ドイツ風(?)の堂々たる、しかしながら明朗な響きに、それこそ「憧れ心地」と「希望」を思う。
一方、ライトナーによる十八番の「ハフナー」セレナーデは古の名盤。モノラル録音ながら音に迫力があり、聴いていて実に感動的。若きモーツァルトの愉悦に溢れる作品は、ザルツブルク時代の機会音楽だが、独奏ヴァイオリンが加わる第2楽章から第4楽章までの3つの楽章が、水も滴たる美音を発していて素晴らしい。
初演は1776年7月21日に行われた。ザルツブルクの大司教宮中顧問官、フォン・シーデンホーフェンは次のように記している「食事の後、私達は、ハフナーが姉のエリーザベトのために作らせた婚礼音楽を聴きに出かけた。それはロレート教会傍らの庭園で演奏された」。
~作曲家別名曲解説ライブラリー13「モーツァルトI」(音楽之友社)P115
何とも優雅な貴族の日常にぴったりの名作だ。