ワルター指揮ニューヨーク・フィル ベートーヴェン 交響曲第5番(1950.2.13録音)ほか

柔軟な思考、臨機応変の姿勢、そして何よりとらわれない心。
すべては、真の慈しみが源泉となる形なんだと僕は思う。

ナチス・ドイツを忌避し、多くの文化人が欧州を逃れた20世紀半ば。ブルーノ・ワルターもその一人だ。

アメリカにおけるヨーロッパ人の主要課題であるとともに、経済的にも個人的にも快活な境遇を得るための前提条件になるのは、アメリカの環境に対する精神的順応であると私には思われる。しかし、善意と《しなやかな》性質をもった移住者にとって、それが困難になることはほとんどありえなかった。本来私の友人や知人は、すべてここに根づくことに成功したのであって、ただ、精神的に頑固な人とか、この朗読家のように、慣れた事柄に捕われたままの素朴な人の場合にだけ、しばしば絶望的な状態が生じたのである。
内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P453

1950年にカーネギー・ホールで録音されたベートーヴェン交響曲第5番ハ短調。不自然なほど楽章ごとにテンポが一定せず、何だかワルターの情緒不安定な側面を垣間見る思いなのだが、しかし、それはおそらくワルターの先天的な楽観性が為した業であり、彼ならではの実験であり、挑戦ではなかったかとも思う。

言葉に関しては、移植はなんの困難ももたらさなかった。それは私が英語を話したからばかりでなく、むしろ音楽家として、私に最も個有のイディオムで自己を表現することができたからであって、これに対し、例えば英語を話さない作家や俳優は、言語的にも精神的にも、彼らの職業そのものにおいて障害を受けたのであった。しかし私の境遇がもっとはるかに不利だったとしても、すべての新しいものに生涯魅力を覚えた私にあっては、その魅力が新しいものの異質性にうちかっていたことであろう。それというのも私は楽天的に生まれついているのであって、苦しみに溢れた体験や世界の事件に対する戦慄にもかかわらず、落ち着いた瞬間にはいつも調和の感情を意識していたのである。
~同上書P454

ワルターらしい回想であり、エピソードだ。好奇心旺盛のワルターの態勢は単に楽観的だったという言葉では収まらないように思う。彼は(法は得ずとも)真に慈しみを体現した音楽家だったのである。

ベートーヴェン:
・交響曲第5番ハ短調作品67(1950.2.13録音)
・交響曲第1番ハ長調作品21(1947.11.29録音)
ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニック

第5交響曲、中でも第2楽章アンダンテ・コン・モートは急激なリタルダンドを含め、緩急に富む解釈だが、どこか的を射ていない人工性が鼻につく。テンポをゆっくりと、哀愁を込めて歌わんとするワルターの姿勢はもちろん慈悲深さから出たものだろうが、どうにも頭から入った演奏に思えてならないのである。ちなみに、第3楽章スケルツォから終楽章アレグロにかけての火を噴く波状攻撃(?)は一瞬のパウゼがものをいい、実に快調なワルターの神髄を示すものだろう(金管群の咆哮の喜びよ)。

それに比較して第1交響曲は、ベートーヴェンの青春の熱波(恋愛感情か?)を見事に汲み取った優美な演奏であり、不自然さもなく、実に心地良いものだ。ここでのワルターはベートーヴェンの音楽に陶酔する。

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