高橋悠治 J.S.バッハ 14のカノンBWV1087ほか(1976.10録音) 

高橋悠治の「ゴルトベルク変奏曲」については以前思うところを書いた。
グレン・グールドを髣髴とさせる、否、凌駕するであろう1976年録音盤の凄演に、僕はあらためて感化される。同時に、「14のカノン」を付録に採用した高橋の慧眼を思う。

バッハの作品は、完結したものとはかんがえられない。同じ音楽はちがう機会に書きなおされ、姿を変えて何回もつかわれる。《ロ短調ミサ》や《マタイ伝受難曲》も、その変転のひとつのかたちにすぎないのだ。この「変奏曲」にも出版後に書きこみをされた自家用コピーがのこされている。その最後のページに、アリアの最初の8小節の低音にもとづく14のカノンが書かれた。これは1974年にバッハ自身の手によるものと確認され、1975年に新バッハ全集のために解読され、初演された。
(高橋悠治)

すなわちバッハの新発見の作品をすぐさま録音するそのスピード感と、あわせてローランドのシンセサイザーを使用しての革新的な演奏を試みる高橋の行動力、あるいは至高の(?)実験精神に僕はやはり感激する。

ヨハン・セバスティアン・バッハ:
・ゴルトベルク変奏曲BWV988
・14のカノン—ゴルトベルク変奏曲・アリアの8つのバスにもとづくBWV1087
高橋悠治(ピアノ:スタインウェイ/シンセサイザー:ローランド)(1976.10.19-20録音)

ゴルトベルク変奏曲については先の記事に譲る。
そのときに触れることのなかった一方の「14のカノン」について(直観的に)今日は書きたい。
高橋悠治の、音色を変えての様々なカノンの試みは、実に計算された堅牢なものでありながら、水のような柔軟性を秘め、くり返し聴くうちに、不思議な官能が身体の内側から押し寄せてくる。それはまるでバッハの脳みその中を垣間見るようで、彼の音楽の基本がそこに見事に再現されている。しかも、バロックの宗教的な音楽が、現代の極めてモダンな函の中に入れられ、実にサイケデリックな、あるいはロックな音楽として変換されるのだから興味深い。
文字通り「温故知新」。バッハは古く、しかし新しい。つまり、そこには永遠普遍があるということだ。

ちなみに、少し話題は逸れるが、かつてブライアン・イーノは、いまだ実現できていない音楽について問われたとき、次のように言っている。

長く考え続けているのですが、それは原子レベルから音楽を作ることです。私は自発的でルール・ベースの音声制御システムを使用しますが、制御するのは既に存在している音です。しかし、本当に挑戦したいのは、この同一のシステムを実際の音生成に適用することです。いわば音を原子レベルで生成し、その後、全く同一のシステムで私がその音の構成を行ないます。すべての過程を通して、同一の原理を使います。これは技術的に非常に困難ゆえにできていませんが、いつか実現したいです。
ハンス・ウルリッヒ・オブリスト著/篠儀直子・内山史子・西原尚訳「ミュージック―『現代音楽』をつくった作曲家たち」(フィルムアート社)P351

音楽を徹底的に微分して行くと、最後は数(すう)に至るのだと予感できるが、そもそもバッハの思考もその中にあったのではないかとシンセサイザーによる「14のカノン」を聴いて思った(バッハはその意味では原子レベルから音楽を作っていたのだと言えまいか)。バロックと現代が出逢った瞬間がこの音盤の中に見事に閉じこめられている。

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