シュタイン指揮バンベルク響 ブラームス 交響曲第1番(1997.9Live)

ヨハネス・ブラームスは、「天才」の定義を次だとする。
かつてブラームスが盟友ヨーゼフ・ヨアヒムと対話したときの記録だ。

もっともな質問だ、ヨーゼフ。ここで再び聖書に解答を求めねばならない。〈ヨハネ〉14.10だ。今夜既に引用している—『わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである』。真の天才は、ミルトンやベートーヴェンのように英知と力の永遠の源泉を引き寄せる。私の意見では、この聖句こそ天才の最良の定義だ。イエスはこの世で至高の霊の天才であり、唯一つしかない力の真の源泉を自分のものとしていることに気づいていた。かつてこれに気づいた者は一人もいない。ベートーヴェンやミルトンもあの同じ源泉を引き出しているのに感づいていたが、イエスに比べればもっと低い段階に過ぎなかった。すべては程度の問題だ。
アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P98

ブラームスの見解は実に正しい。イエスが授かってベートーヴェンやミルトンが授かれなかったものが一体何であるのかまで悟っていたのかどうかは不明だが、少なくともブラームスの最晩年の頃、イエスと彼らの天才は同質ではなかった。しかし、今やベートーヴェンはイエスと同等の、文字通り至高の霊の天才となった(だろう)。ブラームスがそれに続くのかどうなのかそれはわからない。

指揮者ハンス・フォン・ビューローは、ブラームスの交響曲第1番ハ短調を指して、ベートーヴェンの10番目の交響曲だと唸ったそうだ。本人は謙遜の中にあろうが、ブラームスは自身の天才に相当な自信を持っていたのではなかったか。堅牢かつ古典的なフォーマットに浪漫の息吹をなぞり、未来の「風の時代」を予見するような、疾風怒濤の交響曲が、何と美しく再現されることだろう。ホルスト・シュタインの指揮する同曲のライヴ録音を聴いて、僕はそんなことを考えた。

・ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68
ホルスト・シュタイン指揮バンベルク交響楽団(1997.9Live)

バンベルクはヨーゼフ・カイルベルト・ザールでの実況録音。
悠然たるテンポで、音楽は堂々と、そして色香を伴なって進行する。その様子は、シュタインの堅固なドイツ魂を転写するかのようであり、完成までに20余年を要したブラームスの天才を、ただなぞるだけのものではない、心底音楽的に感応しての指揮ぶりだ。
第1楽章序奏ウン・ポコ・ソステヌートから音楽には力が漲る。しかもその力は決して力みではなく、あくまで脱力の、自然体のブラームスが再現されるのだから素晴らしい。また、続く第2楽章アンダンテ・ソステヌートの柔和で懐古的な音楽に、バンベルク交響楽団のいぶし銀の響きの妙を思う。そして、短い第3楽章ウン・ポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソの可憐かつ軽妙な音楽もシュタインならではの優しさよ。

なるほど、それにしても微動だにしない終楽章コーダの、地に足の着いた圧倒的解放に感無量。

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