孤高のシンフォニー。
シベリウスが生み出した交響曲の中で最もとっつきにくい作品でありながら、一たび手中に収めることができたらば、これ以上ないと思われるほどの凝縮された結晶美を誇る逸品。
1910年から11年にかけて作曲された交響曲第4番イ短調作品63。
《第4交響曲》は現在でも演奏頻度の低い作品である。しかしシベリウスは「この作品に不足している音はひとつもなく、無駄な音も全くない」と言い、後に人々は「フィンランド音楽の聖書」とまで言った。ただ演奏は容易ではなく、トスカニーニ、モントゥー等の指揮により、全容が少しずつ明らかになるまでは時間を必要とした。中欧ではこの頃、マーラー《大地の歌》、ストラヴィンスキー《火の鳥》《ペトルーシュカ》、バルトーク《青ひげ公の城》、R.シュトラウス《バラの騎士》《ナクソス島のアリアドネ》、ラヴェル《ダフニスとクロエ》等が次々と初演されていた。
(松原千振)
~「シベリウス 交響曲第5番変ホ長調」(全音楽譜出版社)P3-4
現代ではこの作品への評価はより寛容になっているように思うが、それでも常にプログラムにかけられる音楽だとは言い難い。シベリウスの傑作の一つであるにもかかわらず。
それにしても20世紀前半の綺羅星の如くの作曲家たちの名作がこれほどまでに立て続けに創造される奇蹟に言葉がない。
・シベリウス:交響曲第4番イ短調作品63(1910-11)
レイフ・セーゲルスタム指揮トゥルク・フィルハーモニー管弦楽団(2015.12.10Live)
トゥルク・コンサートホールでのライヴ収録。
映像であるがゆえに見える音楽の機微。
セーゲルスタムの登場時の、あまりの巨体であるがゆえの動きの鈍さに恥ずかしくなるくらいだが、音楽が始まるやその思いも吹き飛んでしまう。何と透明かつ清楚な、それでいて芯のある音であることか。
漆黒の闇の中から浮き上がる第1楽章テンポ・モルト・モデラートの深刻な美しさは天下一品。この楽章と対になる終楽章アレグロと併せ、実に見事なマクロコスモスの展開が垣間見えるセーゲルスタムの神がかり的棒に感動を覚える。
そして、第3楽章イル・テンポ・ラルゴの悲劇的歌謡性がまたいかにもシベリウスという厳しさに満ち、また病を超えんとする意思に触発された解放感と喜びに溢れ、素晴らしい。
1999年の夏、僕はフィンランドを訪問する予定だったが、諸事情でキャンセルせざるを得ない状況に陥り、セーゲルスタム指揮ヘルシンキ・フィルの実演に触れる機会を逸した。
今振り返っても残念だ。