リヒテル プロコフィエフ 束の間の幻影(抜粋)ほか(1962.11Live)

コロセウムは私を感動させなかった。それを芸術品と見ることがそもそもまちがいであるが、もし芸術品だと仮定すると、この作品は大きすぎる主題を扱った作品の欠点のようなものを持っている。そもそも芸術には「大きな主題」などというものはないのだ。
佐藤秀明編「三島由紀夫紀行文集」(岩波文庫)P152

三島が欧州を訪れたのは昭和27年(1952年)の春から初夏にかけてのこと。
ローマにまつわる彼の紀行は興味深い。中でヴェルディの歌劇「リゴレット」に触れた際の感想も実に正直だ。

私は器楽よりも人間の肉声に、一層深く感動させられ、抽象的な美よりも人体を象った美に一層強く打たれるという、素朴な感性を固執せざるをえない。私にとっては、それらのもう一つ奥に、自然の美しさに対する感性が根強くそなわっており、彫像や美しい歌声の与える感動は、いつもこの感性と照応を保っている。私には夢みられ、象られ、そうすることによって正確的確に観られ、分析せられ、かくて発見されるにいたった自然の美だけが、感動を与えるのである。思うに、真に人間的な作品とは「見られたる」自然である。
~同上書P159-160

神が創り給うた大宇宙、大自然の美しさに敵うものはない。

1962年11月の、イタリア・コンサート・ツアー(フィレンツェ、ローマ、そしてヴェネツィア)からの実況録音。三島が見たイタリアは人工性溢れるものだったのかどうなのか。素朴な、自然を感じさせるリヒテルのピアノ演奏が当時のイタリアの聴衆に与えた感動は、おそらく測り知れないものがあった。バッハもシューベルトもシューマンも、そしてラフマニノフもプロコフィエフも自家薬籠中の名演奏であり、60余年を経た今も輝きを失わない。

ヨハン・セバスティアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻
・前奏曲とフーガ(4声)第1番ハ長調BWV846
・前奏曲とフーガ(5声)第4番嬰ハ短調BWV849
・前奏曲とフーガ(4声)第5番ニ長調BWV850
・前奏曲とフーガ(3声)第6番ニ短調BWV851
・前奏曲変ホ短調とフーガ(3声)第8番嬰ニ短調BWV853
シューベルト:
・アレグレットハ短調D915
・17のレントラーD366
 第1番イ長調
 第3番イ短調
 第5番イ短調
 第4番イ短調
シューマン:
・アベッグの名による主題と変奏作品1
ラフマニノフ:
・前奏曲第23番嬰ト短調作品32-12
プロコフィエフ:
・束の間の幻影作品22
 第3番アレグレット
 第6番コン・エレガンツァ
 第9番アレグレット・トランクィロ
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1962.11Live)

バッハの前奏曲とフーガに見せる集中力!
あるいは、シューベルトには永遠の舞踏が刻まれる。何と美しい歌であろう。
そして、疾風の如く過ぎ去る「束の間の幻影」からの3曲は、生命の儚さを象徴するようで、1分ほどの第9番アレグレット・トランクィロが一層哀感を増す。

人気ブログランキング


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む