
2011年の6月だったか、ダニエル・ハーディングが新日本フィルとのチャリティ・コンサートで、3月に起こった東日本大震災の犠牲者を追悼し、冒頭にエルガーのニムロッドを演奏した、あのときの、得も言われぬ感動は今もって忘れられない。
2011年は、結果的に多くの日本人が覚醒した年だった。
個性が多様化する中で、「万法帰一」という、意識が文字通り一つに収斂されていくという、そういう体験をした人が多かったと聞く。大海の水を掬ったコップの水は、大海の水そのものとまったく同じものだ。色も形も違うコップが個性だとするなら、水とは僕たちの霊性そのものだ、命そのものだ。人間に限らず、すべて生きとし生けるものが有している命は本性であり、いわば大きな分母からからいただいた同一の分子だと解釈できる。そのことが心から腑に落ちたとき、人の心はステップアップするのだと思う。
あの日の新日本フィルの演奏は、ニムロッドは真に優しかった、本当に慈しみに満ちていた。
サー・エドワード・エルガーの「エニグマ変奏曲」には数多の名盤がある。
少し変化球ともいえるが、レナード・バーンスタインが80年代初頭に録音したものは、特に6分超を要する第9変奏「ニムロッド」をもって最高の演奏の一つだといえる。
おそらくバーンスタインが最も輝いていた時期の記録ではないだろうか。
何と36分を超える悠久のエニグマ変奏曲の(大袈裟だけれど)果てしのない奇蹟。果たしてエルガー卿がここまでの大演奏を求めたのかどうかはわからないが、英国的スノッブを消し去り、あくまで初演者ハンス・リヒターが解釈したような(勝手な想像だけれど)、ワーグナー的誇大妄想(否、ベルリオーズ的ストーカー気質?)、浪漫的解釈に僕は膝を打つ。
同じく「威風堂々」の愛国心を鼓舞する、内へと向かう想念に、僕は快哉を叫ぶ。