サロネン指揮ロサンゼルス・フィル ルトスワフスキ 交響曲第1番(2012.11&12録音)ほか

ヴィトルト・ルトスワフスキが京都賞を受賞したのは1993年11月だった(あれから30年)。
受賞記念講演会の中で、ルトスワフスキは次のように語っている。
まずは、少年時代の記憶。

本当の意味での啓示はその少し後、私が11歳のときにやってきた。ワルシャワ交響楽団のコンサートで、私は初めてカロル・シマノフスキの第3交響曲「夜の歌」を聴いた。彼はたしかに当時の偉大な作曲家であった。この作品は、その素晴らしい独創性に満ちた、ハーモニーや音の表す色、情緒的な力ゆえに、人の心を魅了するものだった。シマノフスキの第3交響曲を聴いた瞬間、私は目の前に不思議な園の扉が開かれたように感じ、その興奮状態は何週間も続いた。私はシマノフスキのハーモニーを鍵盤の上で再現してみようとし、そのときそれまでは知らなかった全音階を発見した。この一連の経験は実に20世紀音楽との出会いだった。
1993年11月11日受賞記念講演会ヴィトルト・ルトスワフスキ「私の人生と音楽」P148-150

実際のところ、後年、シマノフスキの影響はそれほど受けなかったと彼は言う。
ナチス・ドイツによる支配の時も、当時の一線で活躍する第一級の指揮者や独奏者の演奏を聴き、そして、数多の傑作をピアノ連弾用に編曲し、彼は実践的に腕を磨いていった。

1945年1月、いわゆる「解放」がやってきた。実際には、それはまったくの失望だった。それは本当の解放ではなく、むしろ支配だった。ポーランドという国が形式的には再建されたが、今のように自由な国ではなく、ほとんどソ連の植民地だった。それでも、ポーランドの誰もが、首都ワルシャワを完全に破壊されたこの荒廃した国を再建しようという強い気持ちを感じていた。私は職業を通じ、微力ながらこの目的のために力を尽くした。当時、「機能的」音楽と呼ばれるものへの強いニーズがあった。音楽学校や、小さなアンサンブルのための曲や、子供たちのための作品(歌ややさしい曲など)である。この種の曲は、しばしば民謡の旋律を素材にして、かなりの数を作った。
しかし、同じ時期、もっと重要な作曲も行っていた。私は第1交響曲を完成させ、それは1948年カトヴィーツェで初演された(ワルシャワは当時まだ焼け野原で、コンサートホールもなく、あるのは慎ましいオーケストラ一つだけだった)。

~同上講演会P152-154

誰もが支配の中にあったあの頃、いずれにせよ抑圧された中で作曲活動を繰り返した天才たちの音楽には、それでも自由を求めた革新があった。

果たしてルトスワフスキの第1交響曲は聴衆にどのように聴かれたのか、実に興味深い。

ルトスワフスキ:
・ロサンゼルス・フィルハーモニックのためのファンファーレ(1993)(2012.11.30-12.2録音)
・交響曲第1番(1941-47)(2012.11.30-12.2録音)
・交響曲第4番(1988-92)(1993.11.15録音)
エサ=ペッカ・サロネン指揮ロサンゼルス・フィルハーモニック

戦中から書き綴られ、戦後まもなく完成した交響曲第1番。
ここにはストラヴィンスキーが木魂し、ラベルやショスタコーヴィチからのイディオム的引用も垣間見える。強烈な個性と個性がぶつかり合い、新たな作風を模索しつつ、ルトスワフスキでなければ生み出せない(古典の容姿を纏いつつ前衛的手法を織り交ぜる交響曲の見事な形)。阿鼻叫喚する金管群の咆哮に、聴衆は熱狂する。

さてここで、私がよく聞かれるもう一つの質問の話をしよう。これは根本的な質問である。 つまり「誰のために作曲するのか」である。私の答えが議論の的になるのは明らかで、憤慨 されるかもしれない。しかし、私は、この姿勢が創造的な芸術家として素直であると考えられる唯一の姿勢であるということを説明してみようと思う。その答えとは「私は私自身の ために作曲する」ということである。このような発言に対する最初の反応が、「なんて胸の 悪くなるようなエゴイズムだろう」というようなものであっても、私は驚かない。このよう な反応は私も理解できる。しかし、またこれは非常に表面的なものであって、簡単に反錫が できる。「そうだ。私は私自身のために作曲するのだ。しかし、私と同じような人も必ずいるはずだ。同じような嗜好、そして同じような願いさえ持っている人が。だから、その人達 も私の音楽の中に彼らにあったものを見つけられる」と。
~同上講演会P164

エゴイズムというのは他人の勝手な評価に過ぎない。
創造行為は何にせよ自分自身のためにあるものだと僕は思う。
最晩年の交響曲第4番は単一楽章で書かれたが、ここにはルトスワフスキの繊細な、そしてすべてを一つにせんとする美学がある。もちろんそこには彼が信念をもって取り組んだ「管理された偶然性(アレアトリー)」があり、「十二音和音」を駆使した魔法があった(いずれも非常にわかりにくい概念だけれど)。そして、そのことを見事に捉え、聴衆の心に届くように、同様の願いに感化される人々の魂の届くようサロネンは再生しているのだと思う。

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