Ornette Coleman “The Shape of Jazz to Come” (1959)

バークリー・メソッドっていうものはいわば、近代資本主義全肯定の立場に立っているシステムです。どんなジャンルでも近代批判、資本主義批判っていう大きなスタンスはあると思うんですが、音楽においてもそうしたやりとりがある。バークリー・メソッドに対する、リディアン・クロマチック・コンセプト、あと、もうひとつ有名なのはあれですね、オーネット・コールマンのハーモロディクス理論。ハーモロディクスは理論ではない、理念ではあるかもしれないが、少なくともあれは近代的な理論ではなくて、むしろ道場ではないか?(笑)というのがこの講義でのわれわれの見解ですが、その他にも現代音楽にはジョン・ケージから始まる一連の仕事がありますし、そういったさまざまな音楽観、世界観があるってことは意識しておいてください。
菊地成孔+大谷能生「憂鬱と官能を教えた学校—【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史(上)調律、調性および旋律・和声」(河出文庫)P258

オーネット・コールマンの発明は、「敬虔に提示された即興的旋律であれば、そこに意味が生まれる」ということだったという記事を読んだ。僕は思わず膝を打った。
確かに1950年代、明確にハーモロディクスという理論は、オーネットの頭の中に漠然とあったものだ。菊地さんが理念だとおっしゃるのもよくわかる。はっきりと理論書なるものが存在しない以上、それは再現困難な、あくまでオーネット独自の方法に過ぎない。しかし、それこそ「自由」(フリー)なのである。しかも、心の内から出て、それが天意と通じる音楽なら必然になるのだという事実が実に興味深い。

・Ornette Coleman:The Shape of Jazz to Come (1959)

Personnel
Ornette Coleman (alto saxophone)
Don Cherry (cornet)
Charlie Haden (bass)
Billy Higgins (drums)

アルバムの劈頭を飾る名曲”Lonely Woman”に打ちのめされる。
挑戦者、あるいは革新者の行動は定量化できないものだ。だからこそそこには夢があり、また逆に現実がある。形式を逸脱しながらそこに意味を持たせることは天才の成せる業。

だが、現実の人生では、敵を苦もなく消滅させるような魔法の鈴なんてものはない—そうリックは思った。うまくいかないもんだ。そして、モーツァルトは〈魔笛〉を書いてまもなく—30代の若さで—腎臓病をわずらって死んだ。そして、墓標もない共同墓地に埋められたのだ。
ひょっとすると、モーツァルトは未来が存在しないこと、すでに短い人生を使い果たしてしまったことを、なにかの直感で知っていたんじゃないだろうか。おれにもそんな直感があるかもしれん—リックはリハーサルを見まもりながら、そう考えた。やがてこのリハーサルは終わり、やがて本公演も終わり、やがて歌手たちは死に、そして、やがてはこのオペラの楽譜の最後の一部も、うやむやのうちに滅びてしまう。最後には“モーツァルト”の名も忘れられ、灰が勝利を占める。もし、この惑星でだめなら、ほかの惑星でそれは完成する。あとしばらくのあいだは、人間たちもそれを避けられるだろう。

フィリップ・K・ディック/浅倉久志訳「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(早川書房)P127

長い歴史の中で人間の生などほんの一瞬の出来事だ。
果たしてモーツァルトの名前は後世に残らないのだろうか?
そんなことはないように僕は思う。同じくオーネット・コールマンの名前も不滅だろう。
40分に満たないアルバムを聴きながら、僕は革新的音楽の永遠を思う。


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