ハイティンク指揮ロンドン・フィル メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」(1978録音)

音楽を聴き始めた頃のいわば刷り込み。
しかし、42年を経た今聴いても、僕の耳には大好物だ(このジャケットも愛でて久しい)。

この音盤に出会ったときのことは今でも鮮明に憶えている。京都で輸入盤フェアが大々的に開催されたとき、当時のクラヲタ仲間と音盤を漁りに行き、そこでアラン・シヴィルがネヴィル・マリナーの指揮で録音したモーツァルトの協奏曲集と共に買ったのだった(かの仲間はヒストリカル・レコードに凝っていて、メンゲルベルクのチャイコフスキーの交響曲第5番などを購入していた)。当時は、日本盤では見たこともない代物が数多並んでおり、また相応に安価だったものだから、輸入盤フェアなる催しがいつも楽しみだった。さすがに高校生の身ゆえ欲しくてもそうたくさんは買えなかった。だからこそどういう音楽が奏でられているのか、空想しながらウィンドウショッピングならぬ(所狭しとレコードが並べられた)箱漁りが楽しみだった。

なぜイタリアにいると幸福になるのだろう。スタンダールに惹かれた時期があったからだろうか。スタンダールはぞっこんイタリアに惚れこんだ人で、自ら「ミラノの人」と墓碑銘に彫らせたし、トリエステやチヴィタ・ヴェッキアの領事をしながら『赤と黒』や『パルムの僧院』を書いた。
スタンダールは臆面もなく自分を「幸福の狩人」と考えていた。事実、たえず美しい女性と恋をした。「書いた、恋した、生きた」と彼は自分の生涯を要約した墓碑銘を考える。ぼくは学生の頃スタンダールの〈疾走する知性〉に魅惑されていた。「書くことが最大の快楽」と言っていたこの作家に言い知れぬ共感を覚えていた。ぼくも書くことが最大の快楽なのである。
スタンダールの魂をたえず快いリズムで満していたイタリア―肉感的で崇高な女たち、無垢な情熱、温暖な風土、古代ローマから血なまぐさいルネサンスを通って続く重層する歴史、眩むような芸術の宝庫・・・。
とにかくこんどのイタリア旅行は長くはないけれど、何か決定的な刻印をぼくに与えそうな気がする。ちょうど30年前、生涯で初めてニースからイタリアの国境ヴェンティミリアに入ったとき、ぼくの魂が異様な変容を遂げていったのと同じように。
あのときは汽車がピサに向って、海岸線を走るあいだ、車輪の響きの中から、メンデルスゾーンの「イタリア交響曲」第1楽章の幸福にときめくようなメロディが聞えていた。駅にはカンナが燃えるように赤く咲き、赤屋根に黄土色の壁の家々の庭には夾竹桃が白にピンクに咲き乱れていた。

「美しい夏の行方 中部イタリア 旅の断章から」
「辻邦生全集17」(新潮社)P213-214

内なる心象と外に見る風景とを往来する辻邦生の描写は実に美しい。そして実に音楽的だ。

・メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」
ベルナルト・ハイティンク指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1978録音)

懐かしさの極み。
たとえどうということのない凡演だと評価する人がいても関係ない。僕にとっては永遠の「イタリア」交響曲だ(日常滅多に聴くことのなくなった音楽であり、音盤だけれど)。
第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ冒頭から何と大らかで愉悦に富む音楽であることか!
あるいは、第2楽章アンダンテ・コン・モートの哀愁。そして、憧れの第3楽章コン・モート・モデラートを経て、終楽章サルタレッロ(プレスト)の喜びの爆発(第1楽章と鏡だろう)こそメンデルスゾーンの外と内との統合の結果だと思う。


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