ヤング指揮ハンブルク・フィル ブルックナー 交響曲第6番(1881)(2013.12Live)

今年のバイロイト音楽祭はシモーネ・ヤングが「指環」を振るのだという。
彼女の指揮するワーグナーは聴いたことがない。
しかし、ハンブルク・フィルとのブルックナー全集や、幾度か触れた新日本フィルとの実演を聴く限りにおいて、堅牢な構成の中に柔軟な、いかにも女性らしい音調が刻印されるところから、実に興味深い舞台になるのではないかと期待が膨らむ。それに、ブルックナーの交響曲の初稿をとり上げたり、話題にも事欠かず、革新的なアプローチを見せてくれるのではないか。バイロイト音楽祭を実演で聴く余地は(今のところ)ないが、いずれ公になるであろう(?)録音が楽しみである。

あらためてヤングのブルックナー全集をひもといてみる。
実にバランスのとれた、踏み外しのない、正統派ブルックナーが聴ける。
中でも初期3曲や第6番という、どちらかというとマイナーな(?)作品の方が彼女のスタイルには合っているようだ。

なるほど「マイナー」と書いてみたものの、実際、充実期のブルックナーの筆は完璧なものだ。特別な改訂作業もなく、ほぼ原典という形で構成に残されているという意味では、ブルックナー音楽の骨頂だといっても言い過ぎではなかろう。
作曲当時、ブルックナーはバイロイトに敬愛する巨匠を訪ね、舞台神聖祭典劇「パルジファル」の初演に触れていた。

1882年、すでに病気だったマイスターは、私の手を取りながらこう言われました。「ご安心なさい、君の交響曲とすべての作品を、私自身が演奏しますよ」「おお、マイスター」と私が答えると、マイスターは「もう『パルジファル』を観ましたか、どうでした?」と言われました。マイスターは私の手を握っておられたので、私はひざまずいてその手に接吻し、「おおマイスター、あなたを崇拝しております」と答えました。マイスターは「まあ落ち着きたまえブルックナー、ではおやすみ」と言われました。それが私への最後の言葉となりました。別の日に私が『パルジファル』を観ながら、あんまりうるさく手を叩くもので、後ろに座っておられたマイスターが、おどかすような仕草をなさいました。どうか男爵閣下、誰にもお話しなさらぬよう。これは私があの世へ持って行く、何より何より大切な思い出なのです!
(ブルックナーの、「バイロイター・ブレッター」編集人ハンス・フォン・ヴォルツォーゲン宛書簡)
田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)P202-203

たとえ社交辞令にせよ何にせよ、ワーグナーの言葉はブルックナーに勇気をもたらした。

・ブルックナー:交響曲第6番イ長調(1881)
シモーネ・ヤング指揮ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団(2013.12.14-16Live)

ブルックナーは「パルジファル」に触れ、何を思ったのか?
敬虔な信仰心が投影され、大自然の讃歌たる第6番イ長調の外へと拡がる大いなる意志。それは第1楽章マエストーソを聴けば一聴瞭然だ。しかし、音楽的にも完全、そして表現的にも最美であるのが第2楽章アダージョ。ブルックナーの他の交響曲の緩徐楽章を冠絶する頂点であり、また逸品。

さらに第3楽章スケルツォの決然たる音楽の間、トリオでの第5交響曲の木霊に相変わらず僕ははっとする。この絶妙なる自作の引用こそがブルックナーの自信そのものなんだ。

終楽章の、ブルックナーの代名詞たる宇宙の鳴動もヤングは自然体ながら実に男性的な響きをもって歌い切るのである。素晴らしい音楽だ。


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