ハンマークラヴィーア・ソナタについて録音当時ディーナ・ウゴルスカヤは次のように語っていた。
ベートーヴェンのソナタは人生そのものです。楽譜をそのまま学ぶだけではなく、実際の仕事はその後から始まります。ベートーヴェンの作品はすべてが素晴らしく、中には私にとっては早過ぎるといわれる作品もありました。でも、私の思いは違いました。私はただ、自分が愛する曲を演奏し、じっくり考え、立ち返り、自分の人生において特別な重要性とつながりを感じた曲を記録に残したいだけなのです。作品 106 に関しては、このソナタを 25 年間研究した後、ようやく演奏できると確信したハンス・フォン・ビューローと同じ思いです。
(ディーナ・ウゴルスカヤ)
ディーナの演奏はやっぱりベートーヴェンその人が憑依しているのではないかと思うほど輝かしい成果を示している。ハンマークラヴィーアはもちろん素晴らしい。作品111も晩年のベートーヴェンの崇高な精神を表わしている。
後期様式をそなえたこの最初のソナタは著しく幻想的である。その点では遠く作品27の「幻想曲風ソナタ」の世界につながるが、表そうとするものの大きさ、また表現の自然さ、馥郁とした芸術的香気など、すべてが過ぎし日とはくらべものにならないほど高くなっている。
(大木正興/大木正純)
そして、作品101の、大木さんが書くような、ベートーヴェンの後期様式の一端をこれほどまでにリアルに描き出す演奏を僕は他に知らない。
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101(1816)
ディーナ・ウゴルスカヤ(ピアノ)(2013.4-5録音)
第1楽章アレグレット・マ・ノン・トロッポ(幾分速く、そして非常に深い感情をもって)の美しい旋律に、当時のベートーヴェンの精神的充実度の高さを思う(献呈者である弟子のドロテア・エルトマン男爵夫人への思念が詰まっている)。そして、堂々たる第2楽章ヴィヴァーチェ・アラ・マルチャ(生き生きとし、行進曲風に)は、ゆったりと、余裕を持って奏でられる。さらに、慈しみ深い第3楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポ,コン・アラ・アフェット(ゆっくりと、そして憧れに満ちて)の祈りと、第1楽章の回想を経て主部に入ってのアレグロ(速く、しかし速すぎないように、そして断固として)の快活さ、音楽の構成の奧妙さにベートーヴェンの天才を思い、その愛と智慧を見事に描き出すウゴルスカヤのセンスの高さとスキルの確かさを確信する。
明日は大木正興さんの100回目の誕生日のようだ。
亡くなって40余年が経過する。その早過ぎた死が惜しまれるが、彼の残した評論、その表現の術は今でも素晴らしいと僕は思う。