グザヴィエ・ロト指揮レ・シエクル ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(2020.3録音)ほか

ナポレオン・ボナパルトが皇帝に即位したことに激怒し、ベートーヴェンが「英雄」交響曲の献呈を破棄したという、これまで事実だと信じてきたエピソドがどうやら作り話であったことを知って目から鱗が落ちた。よく考えれば、かのエピソードはでき過ぎた話であり、僕たち人間の、過去から語り継がれている物語がすべて真実だと思い込む心構え、あるいは情報を精査せず鵜呑みにしてしまう迂闊さなど、思考の愚かさを思う。

13《エロイカ》をめぐる問題の総括
①《エロイカ》は、校閲筆写譜に「ボナパルトと題する」と明記されているゆえ、「ナポレオン」をテーマにした標題音楽である。
②1804年5月末/6月初の試演時に宮廷楽団を提供してくれた、そして半年専有上演権を買ってくれたロプコヴィッツ侯爵に配慮し、一時的に「ボナパルトと題する」を抹消。
③なぜ一時的にと見るかと言えば、その後もパリ旅行計画は放棄されておらず、すなわち、パリに持って行って初演という当初の考えは維持されていた。1804年8月26日書簡でも「このシンフォニーはそもそもボナパルトと題されており」と説明し、ドイツ語で再び「ボナパルトに寄せて」と鉛筆で書き込んだとすれば、当初の意図が再確認される。
④1804年12月末/05年1月初めにライプツィヒの出版社に送ったことで、パリでの出版は、そしてパリ旅行計画は、断念されたと見られる。
⑤ライプツィヒの出版社と報酬で合意に達せず、原稿を送り返すよう求め、出版は宙に浮く。1805年6月に原稿返却。
⑥ようやくヴィーンの出版社と妥結したのは1年後の1806年春、先年11月に始まったナポレオン軍のヴィーン占領下のこと。作曲時はナポレオン賛美であった作品の、発表時はその占領下、という事情から、ナポレオンとは関係ないというポーズを取らざるを得ず、タイトルは一般化してぼかした。
⑦出版は創作の終着点とベートーヴェンが考えていたことは明らか。したがって、その後の政局が転換しても、1806年出版の形を是正するという行為には出ない。「一般化してぼかされた」まま、受容されていく。

大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P213-214

伝承など概して当てにならぬもの。
ここからは、創作活動が社会史と連動しているものであり、それこそ歴史の事実を深掘りして考えないことには真実は見えてこないことが理解できる。大崎さんの「ベートーヴェン像再構築」の研究成果とその熱意に脱帽だ。

「英雄」交響曲は、ベートーヴェンの意図として「ナポレオン讃歌」であったことは間違いなさそうだ。その意味で「標題音楽」であることには違いなく、「遺書」を超えたベートーヴェンの生気、意志、意欲を感じさせる革新的作品であることをあらためて思う。

・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(2020.3録音)
・メユール:歌劇「アマゾネス」序曲(2020.2録音)
フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮レ・シエクル

数年前、ロトが都響に客演したときに指揮した「エロイカ」に僕は感激したことを思い出す。あれは、斬新な、ピリオド奏法を駆使しての、推進力の高い、圧倒的な演奏だったが、その後に録音された手兵レ・シエクルとの手練手管を尽くした超名演奏に思わず拍手喝采した。
この切れ味の鋭さ、しかしながら決して無機的に陥らない、喜びに満ちた表現に「エロイカ」の新たな側面を垣間見た印象。

第1楽章アレグロ・コン・ブリオが素晴らしい。アゴーギク、ダイナミクスの妙。まるでベートーヴェンが生き返って指揮するような錯覚に陥る生命力。これまでロトのようなピリオド奏法を主体とした演奏は数多あったが、それらとは一線を画する重み(音楽そのものは軽快だが、音はまったく軽くない)。

続く第2楽章「葬送行進曲」の葬送の暗澹さを抑え、むしろ次の生への希望を託すような明朗さにロトの天才を、レ・シエクルの表現力の高さに感銘を受ける(トリオが一層美しい)。

あるいは、第3楽章スケルツォに飛び切りの躍動感に感激する。

白眉はやはり終楽章アレグロ・モルト—ポコ・アンダンテ—プレスト!!
かの実演のときも度肝を抜かれたが、冒頭の疾走感、続く変奏の足取りの確かさ、そのテンポ感の良さにロトのセンスを思う。コーダの安定感は抜群!

19世紀から20世紀にかけてのドイツ対フランスの政治的対立が、ベートーヴェンの創作にも影響を与えたというその事実を念頭に置くことの大切さ。大崎さんは、「その政治的対立がコンプレックスと優越意識がない交ぜになった文化的対立と化した」と分析されるが、とても納得だ。

ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管のベートーヴェン「英雄」ほか(1998.5録音)を聴いて思ふ グザヴィエ・ロト指揮都響第804回定期演奏会 ベートーヴェン「英雄」ほか グザヴィエ・ロト指揮都響第804回定期演奏会 ベートーヴェン「英雄」ほか 不毛の時期というのも必要なんだ~ホグウッドの「エロイカ」 不毛の時期というのも必要なんだ~ホグウッドの「エロイカ」

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