バックハウス ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第26番変ホ長調作品81a「告別」(1961.11録音)

ベートーヴェンの人生最大のパトロンであったルドルフ大公は、ピアニストとして相当な腕の持ち主だったことが明らかになっている。献呈された作品、例えば、ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」も、ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調作品97「大公」も大公自身の独奏によって初演された。

ベートーヴェン最大の作品である「ミサ・ソレムニス」も「第九」も、そしてハンマークラヴィーア・ソナタもルドルフ大公なくして生まれ得なかった作品だ。

ルドルフ大公が疎開のためウィーンを去った悲しみ、そして、数ヶ月後の再会を祝し、その喜びを音楽で証言した「告別」ソナタは、1811年7月に出版公告された。

① 《告別》ソナタOp.81aについて
この作品の正式なタイトルは《告別、不在、再会》で、これは標題音楽である。そして第1楽章のスケッチに「告別 1809年5月4日 閣下に献呈されそして心から[aus Herzen]書かれた」とある。また第1楽章のみに現存する書き下ろし自筆譜の冒頭に「告別、ヴィーン1809年5月4日 尊敬する大公ルドルフ閣下の出発に際し」、第2・3楽章のみに現存する校閲筆写譜の冒頭に自筆で「ヴィーン1810年1月30日 尊敬する大公ルドルフ閣下の帰還に際して書かれた」とある。この作品は1811年1月にロンドン、クレメンティ社から出版され、そのとき献辞はない。タイトルはフランス語で「告別、不在、再会 ソナタ・カラクテリスティク[性格的]」となっていて、「性格的ソナタ」とは今日風に言い換えれば、標題ソナタということである。さらに半年後の1811年7月に時間差多発出版として、ライプツィヒ、B&H社から出版され、タイトルは最初、フランス語で「告別、不在、再会 ルドルフ大公閣下に献ぐ」であったが、これに対し、ベートーヴェンは1811年10月9日、B&H社に抗議の書簡を送った。


フランス語タイトル付き、いったいどういうこと? LebewohlはLes Adieuxとはまったく違う。前者は心からのひとりだけ[nur einem herzlich allein]に言い、後者は集まり全体、町全体に言うのです。

この抗議を受けてか、B&H社は、譜面の中身はまったく同じで、タイトルだけドイツ語に変えた版も出版する。
大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P361-362

これは「ミサ・ソレムニス」自筆譜「キリエ」冒頭に掲げられた「心から—願わくば再び—心に至る」の意味を考察したビルギット・ローデスの論文からの抜粋だが、「告別」ソナタと「ミサ・ソレムニス」、ひいてはベートーヴェンとルドルフ大公との唯一無二と言って良い親密な関係を示唆するものだとしており、実に興味深い(「告別」ソナタのメッセージはあくまでルドルフ大公個人に対してのものであり、また、ミサ・ソレムニス冒頭の意味深な言葉もルドルフ大公個人へのメッセージだということだ。ローデスは「心[Herz]」という言葉がキーワードだと論じる)。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第15番ニ長調作品28「田園」(1801)
・ピアノ・ソナタ第26番変ホ長調作品81a「告別」(1809-10)
ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)(1961.11録音)

心と心の特別なつながりの中で書かれた晩年の傑作たち。
聡明な「告別」ソナタは、別れを悲しみ、不在を嘆いた後、いかにもベートーヴェンらしい喜びで閉じられる。

淡々と、そして無骨に奏されるバックハウスのベートーヴェンは地味だ(しかしそこには「滋味」もある)。

晩年の一連の傑作も、そう考えると特に神がかったものではないのかもしれない。
ベートーヴェンはひとりの慈悲深い人間だった。

バックハウス ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」(1952.4録音)

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