
大江健三郎は武満徹について次のように書く。
武満徹の音楽の存在によって、この現実世界での経験の、もっとも深く本質にかかわったもののひとつをあたえられた僕は、また、武満徹の文章を、およそ同時代の芸術家によって書かれた、最上の文章のひとつとする。
武満徹が、かれの音楽的想像力を駆使して、決してかれよりほかの人間によっては、把握されなかったであろう音を、この世界にもたらす。その営為についてかれは、次のように書いたことがあった。
《私はまず音を構築するという観念を捨てたい。私たちの生きている世界には沈黙と無限の音がある。私は自分の手でその音を刻んで苦しい一つの音を得たいと思う。そして、それは沈黙と測りあえるほどに強いものでなければならない》
武満徹の文章に接すると、かれは言葉についても、音がさがしもとめるような、おそるべき綿密さの集中力によって、ひとつひとつ選びあげたのではないかと、耳を澄ませて読むような心において、ほとんど傷ましさに似た、感銘をうけるのである。
「武満徹の想像力」
~「武満徹著作集1」(新潮社)P17
武満徹は(知らず知らずのうちに)相対を超え、絶対を探し求めていたのだろうか。
それこそ大自然の神秘を音楽で、文章で表現しようとしていたのかもしれない。
武満徹の感性は中庸だと僕は思う。
例えば、読売新聞に掲載された「音楽の技術」と題するエッセーには次のようにある(あえて全文を引用させていただく)。
先夜、外来ピアニストを聴きに出でて、知り合いにも顔をあわせぬまま、ホールのすみで、耳に入る話し声を聞いていた。たいへん失望しました、せんだってのルプーにくらべますと、ペダルの使いかたが下手ですね、それにまた、このピアニストの低音は濁って汚い、ポリーニは全く素晴らしかったが、あんなひとの後では可哀想ですね。—会話はこんな調子で続くのだが、専門の技術批評も及ばぬほどに細を穿ち、わたしは、この人たちは高い入場料を払って、いったい何を聴きに来たのだろうか、と考えた。この人たちとくらべて鈍感なのであろう。その夜の、若いフランスのピアニストの音楽を、わたしはたいへん楽しく聴いたのだが、世のなか、さまざまである。
それにしても音楽はその全体が肝腎なので、ステレオ・プレイヤーの部品を論ずるような技術批評は好ましくない。ポリーニもルプーも、その異なった個性にわたしたちは魅せられるのであり、両者の優劣をはかることは意味がない。好きは勝手、嫌はひとに押しつけるものではない。追いつけ追い越せが習いで、奇妙な技術偏重がわが国の音楽界をも支配して来たのだが、すくなくともこのごろでは、これまでわが国でよしとされていたピアノの奏法が、いかに根拠のないものであったかがわかる。
ルプーもグールドもかなり変則なものということになるのだが、その音楽はひとを強く打つ。技術的な品定めもだいじではあろうが、音楽を聴くことがもっともだいじではないか。
(「読売新聞」1974年6月22日)
~同上書P312-313
この年4月にポリーニが初来日、ルプーの初来日はその前年1973年、文中の若手フランス人ピアニストとは誰のことだろうか? 同年初来日アンヌ・ケフェレックか(当時25歳)、情報がないので見当もつかないが、それにしても武満の論は当を得ていると僕は思う。
武満徹は心で聴き、そして心で創造した。何より自然の流れを重視し、自然そのものと一体となって。
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番ハ長調作品53「ワルトシュタイン」
マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)(1988.6録音)
ポリーニのベートーヴェンは凄まじい。終楽章の、例のオクターヴ・グリッサンドの素晴らしさ!
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番ハ長調作品53「ワルトシュタイン」
ラドゥ・ルプー(ピアノ)(1972.6録音)
ルプーのピアノは音楽の流れが自然体を誇る。音楽が全体観の中にあることを徹底して描き、聴くものの心をとらえて離さない(オクターヴ・グリッサンドはやはりアルペジオで奏して逃げているように思われる)。
おそらく最後のチャンスとなったであろう10数年前のリサイタルもキャンセルになったがゆえに、結局僕はルプーの実演に触れることができなかった。彼のピアノの裡にあるリリシズム、何とも慈しみに溢れた音。技術的云々は横に置き、純粋に音楽を堪能できればそのすごさは自ずとわかる。人生の痛恨事だ。


