第1楽章アレグロ・コン・ブリオから僕のツボ。
(コーダ主題もかつての常套だった木管から金管への編曲版を使用する)
再現部以降が自然体で真に美しい。重厚ながら実に透明感を獲得した表現に感無量。
先入観を横に置き、ただ純粋に聴く耳を持って対峙すると、この全集は実に意義のある、素晴らしい演奏の宝庫であるように今僕は思った。
ダニエル・バレンボイムがシュターツカペレ・ベルリンと録音したベートーヴェン。
世界に数多の全集が存在する中で、今さらこの手の重厚な、近代オーケストラ型解釈の演奏は飽き飽きしたという向きもあろうが、古びた形の中にむしろ新鮮な感慨があるのだから、それは実にベートーヴェンの音楽の本質を衝いたバレンボイムならではの解釈だと思う。
(まして単なるフルトヴェングラーの模倣ではない)
ベートーヴェン直後の世代のシンフォニー作家にあっては、標題シンフォニーを書くことはごくふつうのことであった。しかし次第にそれは邪道視されるようになる。しかも19世紀後半にはリストの交響詩も登場し、それに対抗するべく、標題音楽に対する絶対音楽の純粋性に価値観を置く美学が登場するようになると、11曲のシンフォニーのうち3分の2以上の8曲が標題シンフォニーであったヨアヒム・ラフ(1822-1882)などはあるまじき折衷主義との烙印を押されるほどであった。その背後にある、国際派に対抗するナショナリズム、革新性に意義を見いだすことに対する伝統を誇ろうとする力、といった政治的対立も見逃すわけにはいかない。ドイツ・ナショナリズムが勢いを増すなかで楽聖と崇められていくベートーヴェンの代表作シンフォニーは音楽の純粋性を追求した極致と位置づけられ、そのなかに包含されていた標題音楽性には目が向けられなくなっていった。
先に概括したように、19世紀から20世紀にかけての独仏の政治的対立は、コンプレックスと優越意識がない交ぜになった文化的対立となり、パリへベートーヴェンが行こうとしていた事実など見えなくなる。ベートーヴェン音楽の絶対音楽視化を、絶対音楽としての器楽曲中心ベートーヴェン観を、そうしたパースペクティヴで捉えると、ベートーヴェン・シンフォニーに内在する標題音楽性を過小評価してきた歴史が見えてくるのである。
~大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P216-217
大崎さんの指摘通り、ベートーヴェンの標題性を意識して音楽に向き合うことが大切だ。その意味で、テンポを極限まで落とした第2楽章葬送行進曲の美しさ。トリオに移行する瞬間ハッとさせられる。それはまさに生と死が同化し、死への恐怖が絶たれた、純白の音楽の顕現。
・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
ダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリン(1999.5-7録音)
第3楽章スケルツォは適度なテンポで、かつ悠々と推し進められる。
やはりトリオでのオーケストラから醸される、いぶし銀の響きが堪らない。
ベルリン国立歌劇場で私が出会ったオーケストラは、非常にすばらしいアンティーク家具に、けれどもいく層もの埃に本来の美しさを覆い隠された家具に似ていた。オーケストラのレベルがたいへん高いことは分かっていたので、私はその埃を取り除く作業に着手した。純粋に音楽的観点に立って、イントネーション、アタックの統一、統一のとれた全体演奏、などの本来の美しさを覆っていたものを取り除いた。少しずつではあるが、このオーケストラが高いレベルを持っているという私の判断が正しかったことが実感され、あっという間にすべてがうまく整った。
~ダニエル・バレンボイム/蓑田洋子訳「ダニエル・バレンボイム自伝(増補改訂版)」(音楽之友社)P259
終楽章アレグロ・モルトに垣間見る音楽の生命力!
(ベートーヴェンが喜んでいる)
ようやくヴィーンの出版社と妥結したのは1年後の1806年春、千年1月に始まったナポレオン軍のヴィーン占領下のこと。作曲時はナポレオン賛美であった作品の、発表時はその占領下、という事情から、ナポレオンとは関係ないというポーズを取らざるを得ず、タイトルは一般化してぼかした。
~大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P213-214
しばらく出版に至らず、試演から2年も経過し、1806年春にようやくウィーンの出版社と契約、という「英雄」の真実。目から鱗が落ちる。
バレンボイムはあくまで標題音楽として「英雄」交響曲を表現する。立派だ。