
四半世紀ほど前、マルタ・アルゲリッチが久しぶりにピアノ・ソロを披露したコンサートを聴いた。会場は錦糸町のトリフォニーホールだった。前半がアルゲリッチのソロ、後半はギトリスとのデュオが中心のプログラムだったと記憶する(あるいは逆だったか?)。

前半の劈頭を飾ったのはバッハのパルティータ第2番だった。
今でもその感動が鮮明に思い出せるほど素晴らしい演奏だった。
あの日の記憶が沸々と蘇る。
2008年のバルビエ音楽祭での一コマ。
ピアノを前に深々とお辞儀をするあのスタイルも昔と何ら変わっていない。
そして、第1曲シンフォニアから次元の違う境地で、音楽は軽々と奏でられ、バッハの鍵盤音楽の豊饒な世界に誘われた。
アルゲリッチならではの清新なバッハに久しぶりに僕は感激した。
・ヨハン・セバスティアン・バッハ:パルティータ第2番ハ短調BWV826
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(2008.7.22Live)

第3曲クーラントの研ぎ澄まされた音色に愉悦を思う。
そして、第4曲サラバンドの柔和な静けさにアルゲリッチの優しさを知る。
第5曲ロンドには彼女らしい官能があり、終曲カプリッチョの推進力がまた格別に美しい。
パリでマルタはバッハのパルティータ第2番をソロで演奏した。もしやこれはリサイタルへの復帰の兆候だと解していいのだろうか。マルタ・アルゲリッチがデビューした頃のような凄まじい活動ペースに戻ることはまずありえない。だが、このかすかな回復の兆しは、一つの進路変更を告げているようにも思える。様子をうかがい、完全な孤独を避けつつ、演奏を少しずつ再開している。過食と断食のあいだでようやく第3の方向性を見いだしたのだ。
曲がり角にいることを自覚しながらも、どこを曲がるべきかわからずにいる。いまでも、まさかというときに限って髪を洗うが、3,4年ほどまえから髪を染めなくなった。「こうすれば、そこにいるのが自分だってことがわかる」と謎めいた口調でいう。自然の使徒でありながら見た目をつくろってきて、後悔しているのかもしれない。煩雑さに嫌気が差したということであれば別だが。白髪の冠は彼女の顔を明るくし、奇妙なことに、かえって若々しく見える。
~オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P291
僕は彼女が単に煩雑さに嫌気が差しただけなんだと思う。
それに、やっぱり彼女は自然の使徒だ。

