
ワルツ王ヨハン・シュトラウスⅡ世にも社会的には数多の苦労があるようだ。
父ヨハンの死後、息子ヨハンを宮廷舞踏音楽指揮者に任ずる動議が出たとき、皇帝は2回もこれを却下した。1863年になってようやく息子は父のもっていたこの称号を得て、1870年まで宮廷舞踏会を指揮した。
この7年間の時代はヨハンの創作上の絶頂期であった。名作「美しく青きドナウ」(1867)、「芸術家の生涯」(1867)、「ウィーンかたぎ」(1871)などのワルツはこの時期に作曲されている。
~渡辺護著「ハプスブルク家と音楽—王宮に響く楽の音」(音楽之友社)P154
おそらく指揮活動に時間をとられない分、ヨハンⅡ世は創造活動に注力できたのだろうと思う。その結果が名作の数々。その上、宮廷舞踏指揮者に任命されて以降の革新的創造物は、指揮活動とのシナジーによるものだと断言できる。
宮廷舞踏会の指揮者をつとめるようになるとシュトラウスは、今までの市民舞踏場のワルツとちがった交響的ワルツを作曲するようになった。それらは単に踊るためばかりでなく、むしろ聴くためのものであった。シュトラウスが窮屈なシンメトリー形のワルツを捨てたことは、ウィーン市の城壁の撤去と同じように、生命の力の自由な展開を意味したのである。
~同上書P154-155
真の天才の成せる業。
ロベルト・シュトルツの「ウィンナ・ワルツ大全集」から1枚。
実に安心感のあるシュトルツのヨハン・シュトラウスⅡ世。録音は1966年、69年、71年と、長期にわたるものだが、特に、シュトラウスの全盛期の作品を集めた5枚目の演奏は、いずれも喜びに満ち、楽しさ溢れ、何よりローカルな音調が素晴らしい。
1975年6月27日、間もなく95歳の誕生日を迎えるロベルト・シュトルツはベルリンにいた。その日の朝、彼はウィーンにいる愛妻のアインツィに電話で「こちらはすごくいいお天気で、気分も爽快。これから録音に出かけるところだ。」と語ったのだが、その数時間後に突然急性肺炎でこの世を去ったのである。
(保柳健「最後のヴィーナー・ムジークの旗手ロベルト・シュトルツ」
~COCQ-84394→405ライナーノーツP29
寿命というのはわからぬもの。それならばやはり、その瞬間を懸命に生きることだ。
ロベルト・シュトルツのウィンナ・ワルツにはことさら愛がある。