
カール・シューリヒトのウィンナ・ワルツ。
久しぶりにシューマンの「ライン」交響曲を聴こうと、晩年のコンサート・ホール・ソサエティ録音を取り出したところ、ヨハン・シュトラウス2世の音楽に一層惹かれた。
いかにもシューリヒトらしい、即物的な解釈は何ともあっけない印象なのだが、どうにも音楽がいちいち身に、否、心に染みる。
3度目の正直 歌劇場管弦楽団はこのドイツ人指揮者とヨハン・シュトラウス作曲のワルツとポルカを演奏し、その録音のために、1963年にコンサートホールと契約を取り交わした。ピアニストのドレル・ハントマンは、この時の様子を次のように回想している。「あの時は寒くて、みんなやる気がなかったんですよ。そこへ、シューリヒトがやってきました。真冬みたいな格好で、着膨れして、それにベレー帽とものすごく大きなマフラーをしていました。あんまりよろしくない格好でね、指揮台に上って、折り畳みの椅子に腰をかけたんです。この椅子は夫人が車で運んできましたけれど、あの人は私が今まで知っているなかで、一番献身的な人でしたね。シューリヒトは指揮棒を何回か振って、オーケストラをすっかり黙らせてしまいました。『みなさん、私はヨハン・シュトラウスをいつも敬愛しております。そのヨハン・シュトラウスの最も美しい作品を、みなさんと一緒に録音することができて、私は本当に幸せです。しかし、私はウィーンっ子ではありません。ですから、もし私がこの音楽の真のエスプリを見つけられなかったら、どうか私を正しい道へと連れ戻してください』と彼が言ったんです。どっと笑いが起きて、まるで魔法にかかったみたいにスタジオ中がすっかりいい雰囲気になったんです。ただし、この時のワルツもポルカも、私なりの言い方をするならですが、まさにシューリヒト風といった感じで見事に演奏されたんです」。
~ミシェル・シェヴィ著/扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳「大指揮者カール・シューリヒト―生涯と芸術」(アルファベータ)P287-288
何と謙虚な姿勢であることか!
しかし、それはまた自信の裏返しともとれる。真の人格者はそもそも謙虚なのだといえる。
音楽に余裕がある。
もちろんそこには喜びがある。
ローカルな風趣など糞食らえ、ただひたすら敬愛するシュトラウスの音楽を一所懸命に奏でること。シューリヒトの頭の中にはそのことしかないようだ。
個人的に、「ジプシー男爵」から「宝のワルツ」に魅かれる。
直線的な、しかし喜歌劇の聴きどころワルツを集めての、聴衆の期待を煽る、音楽の美しさを前面に押し出した演奏に、「ウィーンっ子ではないけれど」というシューリヒトのむしろ裏返しの自信を感じとることができる。
あるいは、謙虚なのか遠慮なのか、冷めたような「ウィーン気質」も、内なるパッションが随所に埋め込まれ、シューリヒトが録音時に語った「録音できることの幸せ」が見事に湧き出ているところが素晴らしい。
(おそらくそれは指揮者の言葉に感応し、やる気になったオーケストラ・メンバーの力にも拠るものだと思う)
