
シューリヒトは、バックハウスやリパッティといった親しかった友人たちの前で、自分自身の芸術的信条をこのように述べている。「自分が舞台に上がるために作品を利用するのは、演奏家にとって最大の間違いだ。大義を利用するよりも大義に従うということが、遥かに大切なのだ」。作曲家とその作品への敬愛があればこそ、このドイツ人指揮者は、同じ指揮者仲間から尊敬され、聴衆に称賛され、批評家たちに評価されたのである。この敬愛こそ、「スター」を作り出すための仕組まれた称賛とまがいものの名声を手に入れようとする虚栄心から、彼自身を守ったのであった。
~ミシェル・シェヴィ著/扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳「大指揮者カール・シューリヒト―生涯と芸術」(アルファベータ)P350
敬愛の背景には謙虚さがあるだろう。
彼の音楽の流れるある種の地味さは、滋味でもある。どこまでも無心であり、無我であり、無為。
夏至と言えばこれ。
10年ぶりか。
カール・シューリヒトの棒によるメンデルスゾーンの劇音楽「真夏の夜の夢」。
例によって颯爽とした、直線形のスタイルは、メンデルスゾーンの音楽の核心たる古典の継承と湧き立つ詩情を表現する。
シューリヒト指揮南西ドイツ放送響のメンデルスゾーン「夏の夜の夢」ほかを聴いて思ふ もともと民俗的な夏至の行事から受け継がれてきたこの祭のために、当時の人々は草花と灯火で戸口を飾り、焚火をたき、行列などもして楽しんだようである。一年中で精霊がもっとも活発に横行する時とされ、恋占いなども行なわれた。一年のうちでも特に魔法と関係の深い祭の夜は、妖精の活躍するこの作品の世界の背景としてふさわしい。
~ウィリアム・シェイクスピア/小田島雄志訳「夏の夜の夢」(白水ブックス)P153
夏至祭の狂気。
確かに人間がある意味理性を失ってしまうような、危うい時期ともいえる。
山路を登りながら、かう考へた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが昂じれば、安い所へ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟れた時、詩が生れて、画ができる。人の世を作ったものは神でも鬼でもない。向こう三軒両隣にちらちらするただの人間である。ただの人間が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は、人の世よりもなほ住みにくからう。
~夏目漱石「草枕」(新潮文庫)
グレ・グールドが愛読した「草枕」の冒頭は、悟りの世界の表象だ。
いかに此の世が住みにくかろうと、この世界の三毒煩悩の中でこそ、真の悟りが得られることを僕たちは忘れてはなるまい。だからこそ乱痴気騒ぎもときに必要で、その中で真偽を見極められるか、その眼を養うことが必須なのである。
グールドのベートーヴェン「田園」ソナタ(1979録音)ほかを聴いて思ふ
グールドのバッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻Vol.3」(1965録音)を聴いて思ふ 余計な策略なく、情にも流されない、そして、自然体の解釈は、文字通り「草枕」の世界を反面教師(?)にした、決して疲れることのない名演奏。
素晴らしいと思う。
