
ショパンの哀愁。
少年の頃、首っ丈になったショパンの音楽に僕が感じていたのは、憂いと懐かしさだった。
祖国への憧憬と同時に鳴り響くのは、言葉にし難い哀感だった。
マルタ・アルゲリッチの弾くショパンには、筆舌に尽くし難い悲哀が刻印される。
どうにもならない、内側から湧き上がる悲しみの表情が、ピアノという楽器を媒介にして露わにされる様子が見てとれる。
それこそ観ること、すなわち、目、耳、鼻、口、身体、心を通してみることができるのだ。
全身全霊のショパンに僕はいつも感激する。
アルゲリッチの演奏に通底するのは神への信仰だとわかったのは、しばらくしてからだった。神といえど、それは「自在神」なのだが、彼女の演奏には常にその創造主、すなわち「道」が宿るのである。
マルタは13歳でアンドレ・ジイドを読んで強い感銘を受けた。『背徳者』は逸脱への興味を刺激し、『狭き門』はキリスト教の背景を呼び覚ました。ジイドは彼女の好みにぴったりだった。同性愛、ピアニスト、真実への熱中、時代の証言者。ロシア的な面ということでは、ドストエフスキーを貪り読んだ。彼らの宇宙はつながっている。アンドレ・ジイドが『罪と罰』の作者について書いた多くの記事を忘れてはならない。ジイドはドストエフスキーを同時代の偉大な作家と見なし、自作品への影響を告白している。巨匠はどちらも福音書を読むことに“取り憑かれ”ていた。無償の行為についての考察が双方の強迫観念となっていた。この作家たちの本に、マルタは少女時代に熱中した神秘主義に呼応するものを読みとり、それが自分の探し求める美学と密接なつながりを持つと感じている。
~オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P227-228
60年近く前の、若きアルゲリッチの弾くショパンは生命力に溢れる。
ただし、それは死というものを包含した悲しき生だ。そう、本来「死も生もない」ことを彼女は知っていた。
神秘主義とは実際はそういうものだ。
そして、ドストエフスキーの心にもジイドの精神にも流れていたのはそれだった。
39歳で亡くなったショパンは幸せだったのかもしれない。
夜想曲が哀しい。
マズルカはもっと悲しい。
ドストエフスキーは芸術家であるから、哲学者や学者が自分のイデエを作り出すのと同じように自らのイデエを作り上げたわけではない。彼が作り出したのはイデエの生きた像である。それは彼が現実そのものの中に見出し、聞き取り、時に予測したイデエ、すなわちイデエ=力としてすでに生きている、もしくは生まれようとしているイデエの像なのである。ドストエフスキーは自分の時代の対話を聞き取る天才的な能力を持っていた。あるいはもっと正確に言えば、自分の時代を巨大な対話として聞き、時代の中の一つ一つの声を捉えるばかりではなく、まさに声たちの間の対話的な関係、その対話的相互作用そのものを捉える能力に秀でていた。時代の支配的な、認知された、大きな声、つまり(公式のものであれ、非公式のものであれ)支配的で主導的なイデエも、まだ弱い声、いまだ完全に自己を発揮していないイデエも、陰に隠れたまま彼以外の誰にもまだ聞き取られていないイデエも、さらにはようやく成長を始めたばかりのイデエ、すなわち将来の世界観の胚種をも、彼は聞き取ることができたのである。
ドストエフスキー自身次のように書いている。
現実の全体とは現在目の前にあるものに尽きるものではない。現実はその巨大な部分を、まだ陰に隠れた、発せられていない未来の言葉としてはらんでいるからである。
~ミハイル・バフチン/望月哲男・鈴木淳一訳「ドストエフスキーの詩学」(ちくま学芸文庫)P184-185
天才とは、未来が見えた人のことを言うのだろう。
ショパンも時代の一歩も二歩も先を行く芸術家だった。
もちろんマルタ・アルゲリッチもだ。
(フレデリック・フランソワ・ショパンの177回目の忌日に)

