
中学生の時、初めて買ってもらったレコードに、ジャン=ベルナール・ポミエの名曲集があった。あの頃の記憶は鮮明にある。刷り込まれるくらい聴き込んだので、僕にとって彼のピアノ演奏はとても懐かしいものであり、原点だ。
10年ほど前だったか、手ごろな値段でネットに落ちていたので、手に取ったベートーヴェンの全集。それは、どれもがオーソドックスな、ベートーヴェンの心魂を見事に描く逸品であり、実に安心して身を委ねられるものだ。
ポミエは今年4月23日に亡くなった。
かのアナログ・レコードに印刷されていた若き日の風貌がつい思い出されるが、81歳だったという。世間的にはそれほど認知されていたかどうかわからないが、フランスでは立派な巨匠だったようだ。
ちなみに、インタビューでは、ベートーヴェンのソナタについて、彼は次のように答えている。
ベートーヴェンのソナタはすべてコンサートで演奏したことがありますが、多くのピアニストと違って、リサイタルで全曲を演奏しようとしたことはありません。そもそも連続演奏を想定して作曲されたものではないと思っています。レコードの場合は、もちろんまったく違います。気分に合わせて聴きたい曲を選ぶことができます。他の作曲家の全集では、傑作とそうでない曲とが交互に収録されている場合がありますが、ベートーヴェンの全集はすべて同じくらい質の高い作品ばかりです。
それこそ全集を録音する意味であり、また意義だと思う。
そして、特に初期10曲のソナタの中での「ハイライト」は何かという質問に対し、ポミエは言う。
それは次の4曲です。ハ長調ソナタ作品2-3と変ホ長調ソナタ作品7には、ベートーヴェンが聴覚を失ったときの心境が明らかにされており、ここでの沈黙(静寂)は、音を止めろと問いかけるような絶望の心境が刻印されています。そこで私たちは、「無音」、つまり音が聞こえるのか、聞こえないのかという葛藤を覚えるのです。一方、ニ長調ソナタ作品10-3とハ短調ソナタ作品10-1では、あらゆる余分なものが排除され、その展開部でベートーヴェンの天才が発揮されています。ちなみに、中で最も人気があるであろう「悲愴」ソナタは、実際のところ、何も新しいものをもたらしていないと私は考えます。
「悲愴」ソナタの評価は低いが、ポミエの演奏は素晴らしいと僕は思う。
それこそ「評価しない」がゆえの余分な思念が排除されている、作品そのものをありのままにとらえた名演奏だと思うのである。
果たしてポミエは誤解をしていたのだろうか。
作品2や作品7を作曲した頃、ベートーヴェンのピアニストとしての絶頂期であり、いまだ聴覚を失う以前のことだったから。だからこそ、むしろこれらの音楽には歓喜や明朗な希望が刻印され、彼のいう「絶望」は僕には感じられない。
あるいは、作品10-3におけるベートーヴェンの天才を見事に感じさせるポミエの歌。
音楽は無心に、ただベートーヴェンの心だけを表現し、飛翔する。


