小雪落ちる中考えたこと

2012年になって身辺が妙に慌ただしくなった。
忙しいことは良いことだと解釈するが、身は一つなので「軸がぶれないこと」にだけ最低限注意を払っている。しかしながら、これまでの経験から不要なこと、僕でなくともよいことは自ずと消えてゆくものだからさして意識はしなくとも流れに任せればそれでいいのだとも思う。そこで重要なのはやはり直観(つまり内なる声)。直観、あるいは直感を研ぎ澄ますことだけは常に忘れないようにしたい。

ここにきて大切だと実感するのが「全体観」。すべてに意味があり、そしてすべてがつながっていて今があるということ。拙ブログの記事も1660を超えるが、「書くこと」をほぼ毎日のように課すのにも実は意味がある。そう、毎日音楽を聴いて感じたままを書くことにも意味がある。

どんなジャンルの音楽でも作品の全貌を見据えて聴く、感じることはその音楽を理解する上でとても重要な要素だと僕は思う。特にクラシック音楽やジャズ・ミュージックにおいては作品の流れやどこに向かって進んでいるのかを把握するだけで作品が一気に身近になる。もちろんその音楽の作曲背景や作曲家の生い立ちを知ることはより一層理解の助けになる。僕が拙いながら「クラシック音楽講座」なるものを開催しているのにはそういう意味合いもあるということ。

ちなみに、ロック音楽の中でもクラシック音楽やジャズ音楽に影響を受けたもの、例えば1970年代に一世を風靡したプログレッシブ・ロックなどは少なくとも楽曲の構造を知って聴くことで理解度が深まる。そのことが音楽の守備範囲をどれだけ広げることか。

雪降る寒さの中で、久しぶりにエマーソン・レイク&パーマーの「恐怖の頭脳改革」を聴いて、初めて耳にしたときの感動を思い出した。彼らの活動期間は決して長くないが、このアルバムを頂点にして以降は3人が分裂、人気もその音楽のレベルも凋落してゆくことになるのだが、1曲目の「エルサレム」を聴き、そして2曲目の「トッカータ」(原曲はヒナステラのピアノ協奏曲第1番第4楽章)を聴くにつけすっかり彼らの世界に引き摺り込まれてゆく(しかしまぁ、よくもこんなに刺激的な音楽をキース・エマーソンは探してくるものだ。脱帽)。

Emerson, Lake & Palmer:Brain Salad Surgery

仰々しいタイトルと、おどろおどろしいアルバム・デザインが聴く者に一種の壁を作らせるように思うが、音楽そのものはどれも非常にポップで、かつクラシカル。これはもうキース・エマーソンとグレッグ・レイク、そしてカール・パーマーというトリオのなせる技。繰り返し何度聴いてもカントリー調あり、ジャズ調あり、その音楽性の豊かさに痺れてしまう。


4 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>ここにきて大切だと実感するのが「全体観」。

おはようございます。

将棋ではそれを「大局観」といいます。
大局観が優れていれば、読みは3手でも1手でもいいと、羽生さんなど名人クラスの人はいいいます。

「下手の考え休むに似たり」という言葉があります。

・・・・・・よい考えも浮かばないのに、いくら時間をかけて考えても無駄なことで、休んでいるのと同じで時間の浪費でしかないということ。碁や将棋で、下手な者の長考をからかって言うことば。・・・・・・(《文芸作品例解 故事ことわざ活用辞典》創拓社より)

「自分軸」は、経験値が上がるに連れて、どんどん修正するべきです。
初心者と名人では、「自分軸」の在り方は異なっていて当然です。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>将棋ではそれを「大局観」といいます。

そうなんですよね。
僕は将棋や囲碁には詳しくないのですが、ここのところシステム思考などについて勉強するにつけそもそもそういう思考は日本古来のゲームの中に包含されているんだということに気がつきました。
今から少し勉強を始めたいと思ったりしているのですが、手始めに3/11に雅之さんにお会いした時に方法を教えていただこうと考えていました。

>「自分軸」は、経験値が上がるに連れて、どんどん修正するべきです。
初心者と名人では、「自分軸」の在り方は異なっていて当然です。

Yes, Sir!!

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[…] ところで、僕がエマーソン・レイク&パーマーのアルバムに初めて触れたのは30年前のこと。「展覧会の絵」だったか「タルカス」だったか、あるいは「トリロジー」だったか、そのあたりはすっかり忘却の彼方だが、彼らの作品ほど「アレグロ・コン・ブリオ」という記号が相応しいものは他にはなかなか見当たらないのでは。特に、「恐怖の頭脳改革」までの初期作品には勢いと創造性と芸術的才能と、あらゆるセンスが詰まっており、それらを総括して一般聴衆にエマーソン・レイク&パーマーとは何ぞやと問うたのがたった今耳にしているライブ録音だったと言えるのではなかろうか。 […]

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