あちこち思考が飛んで、支離滅裂な一日。
どういうわけかひとつに集中できないので適当に流すことにした。
昨日のメルニコフのショスタコーヴィチの興奮が冷めやらない内、どうやら3月4日(日)に日比谷公会堂で井上道義&アンサンブル金沢が第14交響曲を再演するという情報を得、これは何としても行きたいと思いつつも残念ながら仕事と被っているという事態。今回場合によってはワークショップの延期ということもあり得るので、はてさてどうなることやら・・・(どちらも大事なので運を天に任せることにする・・・笑)。
そんなこんなで、ダスビの予習でマリス・ヤンソンス&サンクト・ペテルブルク・フィルの「レニングラード」シンフォニーを聴いてやっぱり感動し、ついでに周辺をということで今度はほぼ同じ時期に書かれたプロコフィエフの映画音楽「イヴァン雷帝」などを取り出して聴いていたら、どうにも映画を観たくなって、エイゼンシュタインのそれではなく、久しぶりにタルコフスキーの「僕の村は戦場だった」を観た。そう、独ソ戦の最中のソ連のとある地が舞台だが、これもどうにも集中できず、途中で挫折。仕方がないので、行けるかどうかわからぬものの少し予習をしておこうとショスタコの第14番を、ヴァラディとフィッシャー=ディースカウがソリストを務めているハイティンクの名盤で。「死者の歌」と題されるこの何とも晩年の作曲者の暗鬱な心情が投影された音楽は、聴けば聴くほど五臓六腑に沁みわたる深みと透明さを感じ取れるものの、とにかく実演未体験の僕にとってはやっぱり未知数。などと考えているうちにまた志向は別のところに・・・(苦笑)。
ところで、1960年代の最後の年に書かれたこのシンフォニーの色調は、どうも当時の世相を大変に反映しているようで、例えばちょうどこの年にデビューした、レッド・ツェッペリンのファースト・アルバムに触れた時の聴後感と似ているように思えてきて、ついにはツェッペリンのかのアルバムを取り出す始末(ジャンルが違うし、まったく毛色が違うと言えば違うので僕の独断と偏見による勝手な意見)。
“Good Times Bad Times”は初々しい軽さに比して音そのものは実に重い。”Babe I’m Gonna Leave You”はトラッド・ソングをJimmy Pageがアレンジしたものだが、メロディの美しさが際立ちRobert Plantの妖艶な声と相まってツェッペリンならではロックに変化している。それに“Dazed and Confused”のあの、何とも不気味だけれど内燃するパッションの大爆発。
あ、やっぱり違うか・・・(笑)。でも、まぁ、同時代の空気を吸って音楽が生み出されていることには違いない。
奇跡の年1969年の音楽界のイベントの中で、”Abbey Road”リリースから解散に至るThe Beatles一連の出来事とZeppelinのデビューは絶対外せまい。あと、Miles Davisが”Bitches Brew”を引っ提げてエレクトリック・ジャズの狼煙を本格的にあげたことも。さらには、我らがショスタコーヴィチは第14番交響曲を書き上げ、それをルドルフ・バルシャイが初演したことも(このあたりは勉強不足なのでより深掘りする必要ある)。
当時僕は・・・、保育園の年長。
もちろんビートルズもツェッペリンも、ショスタコーヴィチも知る由がない。
でも、ラッキーなことに当時の記憶からあの空気感は身体のどこかに植え付けられている。
ああ、空気感。振り返れば・・・、素敵な時代。
>などと考えているうちにまた志向は別のところに・・・(苦笑)。
でしょ!! 軸なんかぶれたって何とかなるんだって岡本さん!
人間万事塞翁が馬っていうじゃないですか。
人生、ダイヤ通りの運行だけじゃつまらない。
だから3月4日は予定を翻して日比谷に行くべきだよ!!
行かなきゃ絶対に一生後悔するよ!!!(悪魔より)
>雅之様
こんばんは。
そう、何とかなるもんですね。
うぉーー、また悪魔の声がーー。
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[…] それほどにこの「幻想交響曲」は壮絶な名演奏だ。 19世紀前半の、ショパンやリストやパガニーニがまだまだ現役で活躍していた当時のパリの人々を吃驚させた作品の初演は、言ってみれば1960年代最後の年のポピュラー音楽界を震撼させたキング・クリムゾンやレッド・ツェッペリン登場の衝撃に近いものがあるのかも。 […]
[…] リオ、クリームを聴いてみる。ブルースを基調としたこのバンドの音を、昔はよくわからなかった。しかし、ここにはレッド・ツェッペリン同様、決して色褪せない「音楽」が存在する。 […]