サンソン・フランソワのドビュッシー集!

ここしばらくドビュッシーに浸ると宣言しながら浸っていなかった(笑)。
でも、今夜はドビュッシーに浸る。サンソン・フランソワが最晩年に録音した「ドビュッシー集」(ピアニストの急逝により全集完結ならなかったもの)!!
昨日、徳川眞弓さんと主催の浅倉さんを交えて18日のリサイタルの最終打ち合わせをさせていただいた。実際に徳川さんの奏でる音楽を聴きながら、どういう流れにするかなど。
結果、7月のC.W.ニコルさんを迎えてのリサイタルの時と同様、「子供の領分」では谷川俊太郎さんがこのために書き下ろされた詩の朗読が再度披露されることになった。楽しみである(と共にいよいよ緊張してきた・・・)。

フランソワがショパンやラヴェルでも魅せた、あの杓子定規でない、ゆらゆら揺れるような音楽がドビュッシーでも健在。否、というより彼の弾くショパンよりもあるいはラヴェルよりもドビュッシーにこそ適性を感じる。楽想が自由に飛翔し、作曲者がイメージした以上におそらく音楽が拡がりゆく。「前奏曲集(第2巻第11曲「交代する3度」は未収録)」も「映像」も、「子どもの領分」も「版画」も、全く申し分なし。まさにエスプリ!!

ドビュッシー:
・前奏曲集第1巻(1968.4.23-24,5.15&7.16,19,22,23録音)
・前奏曲集第2巻(第11曲「交代する3度」未収録)(1969.5.23,24,26-28録音)
・喜びの島(1961.7.12&17-19録音)
サンソン・フランソワ(ピアノ)

第1巻と「喜びの島」に挟まれる形で収められている第2巻は、あらためて言うまでもなく「目に見える現実世界」を突き抜ける(しかし前衛という言葉は相応しくない)。この曲集を繰り返し聴けば聴くほど、奥深い哲学的境地が垣間見られ、聴く者を独特の「精神世界」に誘う。それにしてはフランソワの演奏があまりに人間臭く、かえってそのことにより「音楽」のバランスが決まっているというのも確か。第11曲が録音されなかったということが逆にそのことを強調し、未完であるがゆえの完成度が演出されるのか・・・。
とはいえ、やっぱり全集が完結しなかったことは残念。もうあと数ヶ月で良いから彼が長生きしていてくれたら少なくともドビュッシーの全集はでき上がっていたろうに。
ところで、フランソワのドビュッシーを耳にするたびに僕が思い出すのはビル・エヴァンスのこと。活躍したジャンルは違えど、20世紀を代表するピアニストの個性はつながっていたのではないか。いずれのピアニストももはや実演を聴くことは叶わないが、どうにも同類の音楽家に感じられてならない(ビル・エヴァンスの弾くドビュッシーを聴いてみたかった。あるいはフランソワの弾くジャズも聴いてみたかった)。

さて、明日から数日東京を離れる。
17日に戻る予定だが、その翌日18日はリサイタル本番当日。休暇中は徹底的にドビュッシー漬けになろうか。それもフランソワのこれらの録音を中心に。


2 COMMENTS

ふみ

久々のコメントになってしまいました。

この間、久々にユニオンとタワレコに行った時にタワレコで掛かっていた「お、これは素晴らしい」と感じたドビュッシーがフランソワでした。

18日は楽しみにしております。ドビュッシーの
予習しなくては…

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