I’ve gone to look for America.

“Let us be lovers, We’ll merry our fortunes together. I’ve got some real estate, here in my bag.”
So we bought a pack of cigarettes, and Mrs. Wagner’s pies, and walked off to look for America.
“Kathy,” I said, as we boarded a Greyhound in Pittsburgh, “Michigan seems like dream to me now. It took me four days to hitchhike from Saginow, I’ve gone to look for America.”

「僕って誰?」
いつの時代も、どこの地域でも、誰もが一度は持つ疑問かも。いや、そんなことを考えたことない人もいるのかな・・・。多分いるでしょう。ひょっとすると考えるのはとても少数派なのかも。
古来哲学者も芸術家も文学者もみんなそのことを突き詰めようとしただろうけど、答はでなかったのでは?人は便宜上あらゆる物に名前を付ける。もちろん各々に氏名もある。それは自分と他人とを区別するために。もっというなら自分の「個性」というものを認識するために。岡本太郎の言葉を思い出した。「名前なんていらないんだ」っていうタモリとの対話(笑)。もしも名前というものがなければ、みんなひとつだったのかな・・・、わからないが。

今、僕の目の前の装置からサイモン&ガーファンクルが流れている。世界のどこかで同じこのタイミングで同じ音盤を、同じ音楽を聴いている人ってどれくらいいるのだろう?5人?10人?100人?いや、1000人??もちろんその音楽のポピュラリティにも関わるから一概には言えないけれど、サイモン&ガーファンクルだったら100人くらいいるのかも。で、その100人はそれぞれ違った思いで彼らの音楽を耳にしているのだろうが、でもその数分の音楽を通じて「ひとつになっている」のかも。僕は僕であってあなたじゃないけれど、実はあなたでもあるんだっていうようなことを、以前阿部俊郎さんがブログに書かれていたと記憶するけれど、何だか今わかる気がする。

1968年にリリースされたポール・サイモンとアート・ガーファンクルの傑作。その次の「明日に架ける橋」やその前の「パセリ・セージ・ローズマリー&タイム」の間にあってあまり注目されない音盤のように思うが、ロベルト・シューマンが「ギリシャの乙女」と呼んだ、ベートーヴェンの「エロイカ」と「運命」の間に挟まれる第4交響曲のように時代を超え、燦然と輝き、とても濃い内容を持つ。特にA面の組曲風”Bookends”が最高!

Simon & Garfunkel:Bookends

自分の居場所を見つけることができずもがき、ドラッグに嵌る若者を描く”Save the Life Of My Child”、そして名曲”America”!こちらは本当のアメリカを探そうとするカップルを描く。やっぱり”America”という曲は何度聴いても素敵だ。さらに、長年の愛のない結婚生活を悔いながらも別れる決心のつかない熟年夫婦の物語“Overs”はため息から始まる。
ここにはベトナム戦争の頃の病んだアメリカが反映されるが、そのことはまた現代の日本社会にも通じるのでは?

嗚呼、しがらみや思い込みや、そういう一切をはずしてしまうことだ(難しいか?)。
そうしたら「本当の自分」が見えてくるのだろうか。

「恋人になって結婚しよう。僕のバッグにはちょっとした不動産があるんだ。」
そして僕たちは一箱の煙草とミセス・ワグナーのパイを買って、アメリカを探す旅に出たんだ。ピッツバーグで長距離バスに乗る時僕は言った、「ねぇ、キャシー、今の僕にとってミシガン州は夢のよう。サギノーからヒッチハイクして4日もかけてアメリカを探しに来たんだ」


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