
歌唱が昭和初期の歌謡曲の体。
古き良い時代の遺産だけれど、中には遺物として違和感を覚える人も多いかもしれない。
しかし、その時代にあってこの人の解釈は正統であったのだろうと想像する。
(たぶんに懐古的な側面もあるが)
パリはバロック音楽再発見の最前線にありました。ピアニストのルイ・ディエメール(1843-1919)はパリ音楽院のピアノ教授であり、教え子にはロベール・カサドシュ、アルフレッド・コルトー、アルフレッド・カゼッラ、イヴ・ナット等がいました。フランクの「交響的変奏曲」とサン=サーンスのピアノ協奏曲第5番を献呈された彼は、当時を代表する名手でしたが、古の音楽にも深い関心を抱いていました。彼は、1889年の万国博覧会(エッフェル塔が建設された博覧会)でチェンバロのリサイタルを数回開催し、現在エディンバラのラッセル・コレクションに所蔵されているパスカル・ダスキン作の壮大な2手鍵盤楽器を演奏しました。その後まもなく、ディエメールはジュール・デルサール(1844-1900)と共に「古代楽器協会」を設立しました。デルサールはフランクのヴァイオリン・ソナタのチェロ編曲でよく知られており、ヴィオラ・ダ・ガンバも演奏していました。
当時の著名な作曲家たち、特にヴァンサン・ダンディとカミーユ・サン=サーンスも、ルネサンスとバロックの音楽に深い関心を抱いていました。エドモン・ド・ポリニャック公爵(1834-1901)と妻ウィナレッタ・シンガー(1865-1943、アメリカ生まれでシンガー・ミシンの相続人)は、古楽の熱心な支持者であると同時に、現代の作曲家の主導的な推進者でもありました。(ガブリエル・フォーレは生涯の大半、事実上ポリニャック家の専属作曲家のようなものでした)。
1895年4月23日、ポリニャック・サロンでシュッツ(『女よ、あなたはなぜ泣いているのか』SWV.443)とラモー(歌劇『ダルダニュス』からの場)のコンサートが開催されました。指揮はフランクの弟子で、サン・ジェルヴェ教会の礼拝堂長であり、ダンディとギルマンと共にスコラ・カントルムの共同創設者でもあるシャルル・ボルフォ(1863-1909)でした。
聴衆の中にはマルセル・プルーストもおり、彼は後に「『ダルダニュス』の演奏のような、完璧に演奏された古代音楽」を回想しています。
このプライベート・コンサートについて、フィガロ紙は、歌劇『ダルダニュス』は「現代では比較的知られていない」(控えめな表現で、19世紀に知られている唯一の演奏だった)ものの、「音楽的に非常に興味深い」と評し、さらに次のように付記しています。
演奏は「大成功」でした。サン=サーンス、ダンディ、そしてボルドやアンリ・エクスペルト等の努力と、ポリニャックのような啓蒙的パトロンの支援を受けた演奏のおかげで、フランス・ルネサンスとバロック音楽は1900年頃に復興し始めました。さらに、1860年代以降、バッハのカンタータは、バッハ協会版がライプツィヒで印刷されたばかりの状態で届き、ポーリーヌ・ヴィアルドによってパリのサロン(サン=サーンスやフォーレが出入りしていた)で演奏されていました。
こういう歴史的背景の中でナディア・ブーランジェが登場するのである。
1887年に生まれたナディア・ブーランジェは、新しい音楽と古い音楽が共存する、特にパリのサロンという、プライヴェートな環境の下育ちました。戦間期、ナディアが演奏家としてのキャリアを築くことができたのは、主にエドモン・ド・ポリニャック公女のおかげでした(彼女は教師としてすでに非常に高い評価を得ていたのです)。
ナディアの妹で才能あるリリは、1893年に生まれました。
ナディアは9歳の時パリ音楽院でガブリエル・フォーレに師事、優秀な学生でしたが、4度の挑戦にもかかわらず「ローマ賞」を受賞することはありませんでした。その代わりに、彼女は妹のリリの受賞を支援することに力を注ぎ、ついにリリは1913年、カンタータ「ファウストとエレーヌ」で受賞を果たしたのです。

1918年にリリが夭折した後、ナディアは作曲家としての野心を断念し、教育に専念しました。彼女の生徒には、レノックス・バークレー、エリオット・カーター、アーロン・コープランド、フィリップ・グラス、ディヌ・リパッティ、イーゴリ・マルケヴィチ、ヴァージル・トムソンなど、たくさんいます。コープランドは、「ナディア・ブーランジェは音楽について知るべきことはすべて知っていた。彼女はバッハ以前とストラヴィンスキー以後の、最も古い音楽と最新の音楽を知っていた。和声、移調、楽譜の読み方、オルガンのレジストレーション、楽器のテクニック、構造分析、フーガ、ギリシャ旋法とグレゴリオ聖歌など、あらゆる技術的なノウハウを指先に持っていた」と書いています。





学者肌、というより、教師としての力量に優れたナディアの生み出す音楽は、(当然だが)学究的だと思う。別の言い方をすれば「とっつきにくさ」があるが、一たびその胆をとらえることができると途端に恋しくなる。
「フランス・ルネサンス期の合唱曲集」然り。
ナディアが創設した声楽アンサンブルは当時、皆、パリを拠点にするも、スイス人、ポーランド人、ギリシャ人が含まれていて、彼らはポリニャック・シンガー財団の主催するコンサートで演奏していたという。それこそナディアの手となり、足となり、音楽の再現に最大の力を発揮していたのである。
この際、歌唱の古臭さは横におくことにして、いかにこのアンサンブルの歌が熟成していたかはこのアルバムを聴くだけでよくわかる。
故きを温ねて新しきを知る。




