グールドのハイドン&モーツァルト(1958.1録音)を聴いて思ふ

haydn_mozart_gould_1957728コンスタンツェ・ウェーバーとの結婚直前のモーツァルト。
彼女が賭け事で羽目を外したがために起こした伊達男にふくらはぎを測らせたという罰金事件。モーツァルトはそれを咎めた。

ぼくはあなたの拒絶を真に受けて引き下がるほど短気でもないし、軽率でも、無分別でもありません。そんなことをするには、あまりにもあなたを愛しすぎています。でも名誉を大切にする女性なら、すべきことではありません。
(1782年4月29日付コンスタンツェ宛手紙)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P309

意外にモーツァルトは倫理観が強い。そんな彼の真面目な側面が露わになったのが、ちょうどこの頃作曲された「幻想曲(前奏曲)とフーガハ長調」K.394(383a)。バッハを規範としたフーガが聴きもの。特に、グレン・グールドが奏するそれはバッハを髣髴とさせ、その上にモーツァルト的愉悦が湧き出すのだから堪らない。

グールドのデビュー以来の5作目はハイドンとモーツァルトのソナタほか。いずれも人後に落ちぬ名演奏。例えば、モーツァルトは後年の風変わりな解釈とは一線を画し、意外に真面。そして、ノンレガート的響きは新たなモーツァルト像を獲得しており、素敵。

・ハイドン:ピアノ・ソナタ第59番変ホ長調Hob.XVI:49
・モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330(300h)
・モーツァルト:幻想曲(前奏曲)とフーガハ長調K.394(383a)
グレン・グールド(ピアノ)(1958.1.7-10録音)

ヨーゼフ・ハイドンの明朗さ。円熟の作曲家の筆は聴く者を魅了する。グールドにしては珍しく情感こもる第2楽章アダージョ・エ・カンタービレ。一音一音が丁寧に、そして強調して奏される様はピアニストの神髄。晩年に再録音含めいくつかまとめてソナタをレコーディングしていることから想像するに、ハイドンの堅牢な構築美にグールドは惚れ込んでいたのだろう。
また、モーツァルトのハ長調ソナタは、第1楽章アレグロ・モデラートから勢いある響きで、しかも可憐な主題が愛らしい。そして、第2楽章アンダンテ・カンタービレは哀しく美しい。さらに、終楽章アレグレットはグールドらしい天衣無縫の表現。彼の左手がものを言う。

モーツァルトは心底妻コンスタンツェを愛していた。
全盛期のモーツァルトの筆は衰えるところを知らない。
25歳のグレン・グールドの老練。これほど枯れていながら色気のある音楽はない。
やっぱり天才だ。

 

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3 COMMENTS

雅之

私には、芸術は孤独な者の味方であるべきだという強い信念がありまして、その価値観からすると、グールドのハイドンやモーツァルトも、昨年久しぶりに実演に接したポゴレリッチが弾くモーツァルトも、それぞれ独自な孤独の風情が堪りませんね(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

>それぞれ独自な孤独の風情が堪りませんね

おっしゃるとおりです。
そういえば、ポゴレリッチのリサイタルいかがでしたか?

返信する
雅之

>そういえば、ポゴレリッチのリサイタルいかがでしたか?

一言でいえば素晴らしかったです。世界かアジアツアーの一環だったのでしょうが、想像ですが、あれはコンサートホールの規模や音響特性等によって、相当、弾き方や解釈を変えなければ成功しないやり方ではないでしょうか、チェリビダッケのように・・・。

他会場でも聴いてみたかったです。

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