徹底的であること

bizet_detoit.jpg「・・・ところで私は、ここまで述べてきたことの多くが読者にはわかりきった、語るまでもないことに思われるだろうと承知している。しかし、芸術においては些細なことでも極めて重要なことがあり演奏する者にはそれが決して必ずしもわかりきったことではないということはさて措き、本当に才能のある人たちがしばしば、どんなに真剣さを欠いて自分の職業に従っているかを私は見てきた。が、とにかく結局、トーマス・マンが『魔の山』のまえがきで次のように言っているのは、もっともだ。「綿密過ぎるという悪評を恐れず、むしろ〈徹底的であること〉が本当に面白いのだと考えたい。」だから〈徹底的であること〉が少なくとも不足してはならないのである。」
(~「指揮者のおしえ」フリッツ・ブッシュ著、福田達夫訳

〈徹底的であること〉がどれだけ重要であるかは、ムラヴィンスキーやヴァントのケースをみても明らかだ。オーケストラ団員にどんなに嫌がられようと自身が納得ゆくまでやり尽くすことを本懐にし、とにかく繰り返し練習することで、超一流の芸術を生み出した過去の巨匠たちの芸術家精神は今となっては古びた「主義」に過ぎないのだろうか。例えば、朝比奈隆は生涯で7回ものベートーヴェン全集を作っているが、最後から2番目のものはDVDでも残されており、特典盤として付されたリハーサル風景など貴重な映像を観ると、彼も〈徹底的であること〉の大切さがわかっていた巨匠なんだということがあらためてわかる。「英雄」交響曲第1楽章最初の2つの和音を執拗に繰り返し練習する姿-朝比奈先生が〈徹底的であること〉を追求し続けた職人であり、そのモットーがあってこそあの晩年の孤高の芸術が生み出されたのだということが手に取るように理解できるのだ。ローマは一日にしてならず。音楽家に限らず、どんな職業においても〈徹底的であること〉は最重要である。

20代という若さですでに「頭」が先行し、仕事でも何でも結局中途半端になってしまう人がいる。徹底的にやりきらないとわからないのに、いとも簡単に匙を投げてしまう人たち。「考える」前にともかく素直に動いてみることだ。

ところで、僕はシャルル・デュトワという指揮者の職人芸をことのほか愛する。レパートリーはほぼフランスものとロシアものに絞り切っているようだが、そうやって自分のスタイルにあった音楽を集中的に、かつ徹底的に練り上げる職人精神が堪らない。確かにデュトワの振るベートーヴェンなんぞは興味深いし、聴いてみたい。それでも彼がまだ楽聖を俎上に上げないそのこだわりに感服する。そういう意味においても「徹底」なのである。

ビゼー:
・劇音楽「アルルの女」第1組曲&第2組曲
・歌劇「カルメン」第1組曲&第2組曲
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

「カルメン」は本当に名曲である。本来は歌劇の全曲を隅から隅までじっくり聴くことでその本質が感じとれるのだが、そこまでの時間が許されない時、この音盤に耳を傾けて欲しい。ビゼーがいかに天才であったかが如実に示されている音楽であり、また名演奏である(もちろん「アルルの女」も絶品!)。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
オーケストラの現場を語ろうと思えば思うほど、自分の学オケやアマオケでの経験ひとつとっても、体育会系の話に似てきます。実際、オケの指揮者は、野球やサッカーの監督とほとんど同質の仕事だと思います。息子とサッカーの部活の話をしていても、いつもそう感じます。
例えば、指揮者が決めるオーケストラの楽器配置にしたって、
http://homepage3.nifty.com/jy/essays/oke_form.htm
主に監督が決める、サッカーにおけるフォーメーション
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
とよく似ています。
管理に徹するのか、奏者(選手)の自主性を重んじるのかによって、そのオケ(チーム)のカラーは異なっていきます。
叱って成長する奏者(選手)もあれば、褒めて伸びる(選手)もあり、指導の方法の正解はひとつではないことも似ています。また、時には意に染まない奏者(選手)を放出する、非情の采配が求められこともあります。それでも去っていく奏者(選手)にも愛を持って接していたなんて綺麗ごとは、一切通用しません。
デュトワ指揮モントリオール響は、実演も何度か聴きましたが、奏者のひとりひとりに指揮者の戦術が徹底して浸透しており、あらゆる意味で見事でした。現在、そういう指揮者とオケの理想のコンビは世界を見渡しても思い浮かびません(強いていえばMTTとサンフランシスコ響くらいでしょうか?)。しかしデュトワもこのオケの音色を作り上げるために、幾多の意に染まない奏者を放出しました。
私の元上司だった某元社長の言葉
「そもそも会社経営は、経営トップの単なる希望、こうなって欲しいという将来への淡い願望だけでは決して成り立たない。私は“強い会社”を作るという揺るがない信念・・・たとえ頑迷と言われようがそれでも揺らぐことのない信念、これが経営には不可欠だと考えている!
誰にでも好かれようとしたら難事の際の社長は務まらないよ」
私も、その通りだと思います。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。いつもありがとうございます。
オーケストラ配置の歴史というのも深いですよね。
それに、サッカーのフォーメーションがこんなに深いものだとは知りませんでした。十人十色、様々な人間が入り乱れる組織において、成果を挙げるにはリーダーの力量は並大抵なものではないですね。おっしゃるとおりいろんなやり方があるんだと思います。
それにしても雅之さんの元上司だった某元社長のお言葉、意味深いです。「“強い会社”を作るという揺るがない信念」・・・何事も「揺るがない信念」が大事ですね。
>現在、そういう指揮者とオケの理想のコンビは世界を見渡しても思い浮かびません(強いていえばMTTとサンフランシスコ響くらいでしょうか?)
おっしゃるとおりです。最近めっきりそういうオケが少なくなってしまいました。ティルソン・トーマスについては僕はあまり詳しくないので何とも言いかねます・・・。

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