ムラヴィンスキー指揮レン・フィルのチャイコフスキー弦楽セレナード(1949録音)ほかを聴いて思ふ

曲は、1877年2月25日(新暦3月9日)、ニコライ・ルビンシテインの指揮により、ロシア音楽協会のコンサートで初演され、好評を博した。

古い録音をもってしても、壮絶な、劇的な音調が手に取るようにわかる。
ムラヴィンスキー十八番のチャイコフスキー「フランチェスカ・ダ・リミニ」を聴くにつけ、ダンテの「神曲」にインスピレーションを得た音楽に内燃するパッションに深い感動を覚えずにいられない。
いつものように作曲家自身は作品に対して否定的だった。

かくてまた身をめぐらしてかれらにむかひ、語りて曰ひけるは、フランチェスカよ、
我は汝の呵責を悲しみかつ憐みて泣くにいたれり
されど我に告げよ、うれしき大息たえぬころ、何によりいかなるさまにていまだひ
そめる旨の思ひを戀ぞと知れる
かれ我に、幸なくて幸ありし日をしのぶよりなほ大いなる苦患なし、こは汝の師し
りたまふ
(第5曲)
ダンテ/山内丙三郎訳「神曲(上)地獄」(岩波文庫)P40

悲恋の物語の音化の様が凄まじくも美しい。
例によってムラヴィンスキーの指揮は、情け無用の冷徹さ。レン・フィルの金管は咆え、弦はとことんまでうねりを上げる。

チャイコフスキー:
・ダンテによる交響的幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」作品32(1876)(1948.3.10録音)
・弦楽セレナードハ長調作品48(1880)(1949.3.25録音)
・イタリア奇想曲作品45(1880)(1950.2.23録音)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

「弦楽セレナード」は、第1楽章序奏から、感情を排した絶対音楽的響きを呈し、実に厳しい印象を与える。音楽は一顧だにせず前進し、一切の「甘さ」を抑える、ムラヴィンスキーらしい辛口の表現だ。続く第2楽章「ワルツ」は早めのテンポで颯爽と奏され、何とも優美。また、第3楽章「エレジー」の冷たくも呆気ない表現が、逆に哀しみを助長し、聴く者の胸に迫り来る。そして、終楽章コーダの、第1楽章序奏主題が回帰するシーンの言葉にならない安心と感動は一体どういうことなのだろう?一見無機的な表情の内側に眠るあまりに人間的な情念が、最後になってようやく目覚め、姿を現すのである。

ところで、同時期、フルトヴェングラーも「弦楽セレナード」を抜粋ではあるが録音した。ドイツ精神溢れる大交響曲を髣髴とさせるその表現に舌を巻き、全曲でなかったことが実に惜しい。

チャイコフスキー:
・交響曲第4番ヘ短調作品36(1951.1.8-10&2.16録音)
・弦楽合奏のためのセレナードハ長調作品48(1950.2.2録音)
—第2楽章「ワルツ」
—第4楽章
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

特に終楽章が圧巻の運び!
暗く重く始まる冒頭の印象は、主部に入ってもフルトヴェングラーらしい遅めのテンポを維持しつつ(テンポは揺れる)、実に生命力豊かな音楽が創出される。コーダの小気味良い加速は、いつものフルトヴェングラー節。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む