アルゲリッチ&伊藤京子のドビュッシー小組曲(連弾)ほか(1999.11録音)を聴いて思ふ

昨日の室内楽版ブルックナーではピアノが、それもピアノ連弾が重要な役割を果たしていたが、北村朋幹と中桐望の、時に丁々発止でありながら息もぴったりの演奏は、作品の根っこを形成するもので、聴衆に与える感銘の多くを実は担っていたように僕は思う。

二人で分担するも、一切の齟齬のない、自然な流れを生み出す妙技は、やっぱり信頼関係に基づく呼吸にあるのだろう。互いに互いの音を聴き合うこと、アンサンブルの素晴らしさはまさにそこにある。

日本でなら、気分屋であろうが、矛盾やパラドックスを抱えていようとも、マルタは自分が愛されているという自信を持てる。すぐにくよくよし、いまや人から妬まれないよう気を使っている彼女にとって、日本人の距離感や遠慮はありがたいことなのだ。「ここでは、放っておいてもらえるの」と表現する。そのおかげで、いつ来るかもしれぬ闖入者に対して身がまえている代わりに、彼女は自分から人へ近づいていく自由を得られる。出立の車に張りつくようにしているファンたちが小さく手を振りながら甲高い声でけらけらと笑い、車の列が走り出すと、途端に目元を隠して涙ぐむ。その姿にマルタは感動する。
オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P263

互いに余計な感傷を避けつつも、互いが互いを包み込むという姿勢。日本人古来の美学がマルタ・アルゲリッチの心を掴んだのだと思う。それゆえに、彼女の演奏するアンサンブルは心底美しく、癒しに溢れる。

・プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調「古典交響曲」作品25(寺嶋陸也による2台のピアノ編曲版)(世界初録音)
・ドビュッシー:小組曲(連弾)
・ショパン:ムーアの民謡風な歌による変奏曲ニ長調(連弾)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
伊藤京子(ピアノ)(1999.11.25-27録音)

日本をことのほか愛するがゆえに生み出されたある意味奇蹟の録音。思考を排した感覚の一体。二人の奏する音楽はどこまでも温かい。

ちなみに、日本語でのマルタ・アルゲリッチの発音は”Malouta Alougerichi”となる。いつかこの本をお読みの方が美しい日本へ行かれるときのご参考にしていただきたい。Maloutaは東京の競走馬のオーナーが自分の馬にマルタの名前をつけてくれたという話が大好きだ。「とっくに老馬になって、走れなくなっているそうよ。なのにわたしは、いまだに走っている・・・」
~同上書P269

本気か冗談か、そうはいっても彼女はいつまでも現役であらねばならぬ。
ドビュッシーが特に素晴らしい!

 

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