クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィル ブルックナー 交響曲第8番(改訂版)(1963.1録音)

アントン・ブルックナー生誕200年の記念年。原点に戻る。
衝撃を受けた演奏や録音は数多あるが、今でもその最右翼のひとつが最晩年のハンス・クナッパーツブッシュがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団と録音したウェストミンスター盤(あくまで私見)。しばらく聴かずとも、その詳細までもがはっきりと思い出せるのは10代の多感な時期に毎日繰り返し聴き込んだお蔭なのかどうなのか。

きっかけはもちろん宇野さんの評論にあったが、あれから40余年を経て思うのは、そういう影響や先入観を横に置き、客観的に判断してもやはりこの演奏は当代随一の解釈だろうということ。色気のない、残響の少ない音響効果が音楽を抉り、作品の有機性を楽譜の内部にまで入り込んで聴いているような錯覚をもたらすほど生々しい。

・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(改訂版)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(1963.1録音)

録音から61年。
第1楽章アレグロ・モデラート冒頭を聴くと、僕はあの頃の僕に引き戻される。深い淵を覗き込むように始まるその楽章は、見事にタイム・スリップを喚起する唯一無二の名演奏。そして、当時欣喜雀躍し、その大ぶりの金管の咆哮に打ちのめされた第2楽章スケルツォにあらためて度肝を抜かれる。

一層素晴らしいのが第3楽章アダージョの永遠の夢想(悠々たるテンポが多少冗長な印象を与えなくもないが)、続く悪魔の高笑いの如くの終楽章冒頭、金管のコラールに言葉がない。この楽章は全編僕の宝物だが、中でも最高なるは、それまでのすべての主題が顔を出し、重ね合わされ強奏されるコーダのカタルシス(これ以上の音楽はない)。

秋になって、最初の秋風が強く吹き始めた。空には、灰色の薄い千切れ雲が、あわただしく流れた。暗い海は、波が荒くなり、見渡す限り泡立っていた。大きいうねりが、おびやかすようなきびしい無関心さで近づいてきた。金属のような光を帯びて、暗緑色のふくらみを見せて、壮大に落ちかかり、砂の上にざわめきながら寄せてきた。
シーズンはすっかり終わりだった。シーズン中は海水浴客でにぎやかだった浜は、小屋があちこちで壊され、休憩用の藤籠椅子が点々と残されているだけになり、死に絶えたように荒涼となった。

トーマス・マン/望月市恵訳「ブッデンブローク家の人びと(上)」(岩波文庫)P203-204

マンの詳細な情景描写こそクナッパーツブッシュのこの演奏に比するものだと僕には思われる。アントン・ブルックナーの真髄。

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